久しぶりにとあるマンションの奉仕活動という名の、清掃活動ボランティアのようなものをしてみました。
内容がさっぱりわからず、とりあえず何時に何処どこに集合、ということで集まった私。
そこで見た光景は、
・まったく働かないおじさま達
という現実。
私もまあ、人の事は言えませんが、、、働かないおじさま達と、成果主義と、時間給との関係性はいろいろと交錯しているのかもしれない、とボランティア活動を通して考えさせられました。
なにか作業をするときには、
・やるべき作業と、どうなったら終了なのかを事前に定義する
事が重要です。。
清掃活動ボランティアは休憩から始まり・・・
私が参加したのは、とあるマンションの清掃活動、
とある二人は融雪装置の清掃
残りの人達は、玄関と、駐車場奥の排水溝の泥上げ及び清掃
という割り当てでした。
さて、この割り当てで始められた清掃活動は一体どうなったかというと、
・20分くらいで休憩に入る
という事態に陥りました、なぜこんな事が起きたかというと、
「このペースでやるとやる事がなくなる」
という、なんともアホな理由でした。
清掃活動が作業内容ではなく時間で決められていた
私は真面目な人間なので、割り当てられた泥上げという作業を一生懸命に行いました、そしたら上記のように、、
「このペースでやると時間が余る・・・」
と言われて休憩作業に入ったのを目の当たりにして思ったのが、、
「え?さっさと終わらせて帰ればいいじゃん??」
という感情だったのですが、どうやら他の人達にとっては違ったようです、どういうことかというと、
・ボランティア活動は1時間半と決められている
という事が大前提にある、ということなのです。
融雪装置の清掃は清掃道具が2つしかない為、2人で行うのですが、どうも1時間半では終わらない様子で、他の作業は4人もいたので真面目にやればあっという間に終わる、という配分だったのです。
そして、他の作業を終えても、終了してはいけない、という暗黙の了解があったのです。
誰かに付き合う事が正義
私(および他の働かない3人)が割り当てられた作業は真剣にやれば40分くらいで終了します。
だけど、終了の定義は、
・時間が経過する事
となっていた場合、我々が割り当てられた仕事というのは、
・時間が経過する事を待つ為にダラダラ行う
という事になるのは目に見えています。
これこそ、日本企業の悪しき習慣、付き合い残業と同じ事です。
ついでに言うと、作業員の中にはマンション管理の清掃員もいたのですが、彼曰く
「あんまりキレイにされると私の来週の仕事がなくなる・・」
なんてマヌケな事も言う始末でした。。
仕事完了の定義を決める事が時間仕事へのアンチテーゼとなる
上記のような、くだらない働かないオッサンどもを作らない為にはどうすればよいかというと、
・仕事完了の定義を定める
という事が重要です。
今回の清掃ボランティアでいえば、
・ここからここまでの泥上げを完了し、この区画の落ち葉を全て回収する事
・玄関の窓を全て拭き、床のタイルを全て水で洗い流す事
・回収したゴミは全てこの位置に格納する事
・使った道具は全て洗って元の場所に戻す事
と言った仕事完了の定義をはじめに定義する事です。
そして、大事な事は、
上記の作業が完了し、作業完了が確認(判定者も決める)できたならば解散して良い。
という事も決める事です。
時間ではなく、仕事内容で終了を決める事が重要なのです。
レジ打ちなどの作業はどうすべきか
上記のような時間ではなく仕事内容で決める事ができれば成果主義の採用は容易ですが、問題となるのは、レジ打ち作業などの、時間で決められている作業です。
レジ打ちはお客さんが来る間は暇だろうが忙しかろうが、ずっとそこに居て作業する必要があります。
これらの作業に成果主義は適用できるのでしょうか。
さすがに、とある条件を達成したら帰っていいよ、というのは難しいですが、時間で決められている作業でもなにかしらの仕事の定義をする事は可能です。
それが、
工数(作業にかかる時間)管理
です。
製造業などでは、とある作業にかかる時間は〇〇秒、というように決められています(ちゃんとしたところではね・・)
であれば、レジ打ち作業に関しても、工数管理と言った内容を入れても良いのです。
10品までなら○○秒で処理すべし
などといった目安を設定する事で、ただ時間が過ぎるのを待つだけなんだから、テキトーにやってもいいや、というだらけ根性を排除できる可能性を秘めています。
我々はロボットじゃない、人間だ
成果主義にするといろいろという人達が沢山湧いてきますが、、
全ては、
・その仕事に終わりが見えるか?
というのが大事です。
私が行った清掃ボランティアで、真面目に落ち葉を取って、コンクリの隙間から生えている雑草を取って、、ゴミをさっさと運んで、、、と常に動いていた私と。
お茶飲んで、昔話に花をさかせて手を動かさないオッサンたち、なんでこんな差が出るかというと、
・仕事の完了定義がないから
ですよね、人間は、終わりが見えるとそこに向かって一生懸命に取り組めます。
なにもしなくても時間がきたら終わるなら、その時間をいかにテキトーにすごすかを考え始めます。
機械は指示した事をやり続けられますが、人間は基本、楽をします。
楽をしない為にはそれなりの精神力が必要で、精神力がない人間には、何かを定義してやれるようにもっていく、という事しかできません。
働かないオッサンにお悩みの管理職の皆様、仕事の完了定義を明確にして、それが終わったらサボってていいよ、という風にしてみてください。
おじさま方は、これまでの経験と知識をフル動員してすさまじい勢いで働いてくれるでしょう。。
まあ、私も働かないオッサンの一人ですから偉そうな事は言えませんが、、、私の上司の皆様も、同じように私に仕事を振れば一生懸命にやりまっせ・・・
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