いつからか周囲の人間や世間体などを気にして生きるようになっている。
学校教育がどうのとか、メディアの影響がどうのとか、影響の原因を考える事は楽しいけれども、原因を考える理由は、なにかしらの対策を実施したい、ということだろう。
対策を施した結果はどうなりたいかというと、
・結局のところ周りの目を気にしない人間になりたい
ということだろう。
周りの目さえ、世間体さえ気にしなくなれれば、こんなに自由な事はない。
そんなことを思ったのは、ミニマリストとして服を減らそうと試行錯誤する中での思考である。
服を減らすとどうなるかというと、2、3種類の服を交互に着る、ということになって、このことはすなわち一つの服を3日に1回であったり、2日に1回着る、という事になる。
2日に1回服を着るとどうなるかというと、服の消耗が激しい、ということになる。
消耗すると服はどうなるかというと、色あせ、ダルダルになり、いわゆる、みっともない、という称号を頂戴する事になるわけだ。
このみっともない、というのはどういう事だろうか・・・
これこそメディアやキラキラした社会、新しい物、パリっとしたものを常に買わせようとする資本主義の仕業じゃあるまいか。
最近007にハマってしまって(これもメディアの罠か・・・)映画館にまで足を運んだのだが、ダニエルクレイグの纏うトムフォードのスーツはピッタリと体にマッチして最高にカッコイイ。
このカッコイイという思いが、小奇麗な恰好を自分に強いるのである。
キラキラした映画の中の世界から転じて、いつも通う勤め先に目を移すと、そこには、その服・・・何年も前からずっといっしょやなぁ、というような人達がいっぱいいる。
・・・彼らは、ダニエルクレイグのようにパリっとする必要性を感じていないのだ(イギリス紳士じゃないからね笑)
はっきり言って私は勤め先の色あせた服を着ている彼らが羨ましい、まったく周囲を気にする事なく、ずっと長く服を着続けられるならば、ミニマリストとして理想形だ。
まだまだ、意識改革が必要だ。
ミニマリストとして試行錯誤を繰り返す私も、服はユニクロで買って、1シーズン着たおして、ヨレヨレになったら店舗のリサイクルBOXに入れる、というのが最適解かも、と思っていた。
しかし、その考え方は未だしっくりこない、というのも、かなり前に買ったレザージャケットとブーツがついに7年目に突入したからだ。
7年間同じ服を着続けるなんて、小学校のランドセル以上の快挙だ。
身に着ける物というのは、5年以上もたせる事もできるということだ。
思えば、私は高校生のころ兄の学ランを着ていた、あの学ランはトータルで6年以上は毎日毎日着続けられた事になるが、まったく不具合なく着る事ができた。
ということは、めちゃくちゃ耐久性のある服というのが存在するという事に他ならない。
ただ、色のある服は色あせが発生するからみっともないというレッテルから逃れられない、ならばどうする?
最初っから色あせたようなものを買えばいいのだろうか?
それとも学ランのようにいつまでたっても変わらない物を探し続けるべきなのだろうか?
悩みは尽きない。
何の話かよくわからなくなったが、周りを気にしなくなれれば、頑丈な服をずっと着ていられて環境にもやさしいなぁ、という話だ。
アメリカ人がジーパンを何年も履き続けたり、頑丈なシャツを何年も着続けるみたいなものだ、長くモノを使えば、大量のゴミは消え去るはずだ。。
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