ゲームをみんなで楽しもうとするとき、皆さんは忖度するのであろうか。
私は忖度をしない人間であるからして、あまり経験のない人に対してもある程度全力で叩き潰すタチだ。
しかし、あまりに実力差がありすぎると、周りはつまらない、というのも現実としてある。
スポーツなどはもちろんのこと、テレビゲームなどに関しても同じ事が言える。
懐かしのゲームを買ってみて思ったのは、、
・経験の差がありすぎると楽しめない
という現実だ。
例えば、ニンテンドークラシックミニに収録されているスト2などは、いかに昔そのゲームに慣れ親しんでいたか?によって全く勝負になるならないがある。
そんな中、最近購入したとあるゲームにおいてある事が起きた、まったくもって私のしょうもない昔のゲーム経験がまったく通用しない現象が発生した、そのゲームは。
桃鉄
である、私はファミコン時代に桃鉄をやった事はあったが、それ以来のこのゲーム、実際にやってみると、、
・ほとんどゲーム経験のない相方にボコボコに負ける
という事態が発生した。
もちろん桃鉄にも技術はあるだろうが、その技術はさまざまな事を学習し、覚える必要があるだろう、かといって、ゲーム全般の経験値が全く違う二人であっても、桃鉄はまったく結果が分からないのだ、これはまさに、
・運要素が強い
という事が言える。
人生ゲームというボードゲームがある、私はあまりやった事はないが、あれも運要素が強いからこそ時代を超えて長く楽しまれているんだろう。
トランプのゲームなどは、運ゲーに思えて、実は思いっきり実力が出る。
他にも麻雀などのルールがややこしいゲームは運というよりは、いかにそのゲームを知っているかが勝敗を分ける。
そんなこんなで桃鉄だが、私も無駄にゲームに時間を注ぎ込んだ人間であるから、ゲームのルールというのはある程度分かっているはずだった・・がしかし、桃鉄ではまったくその知識は通用せず、あまりゲームをやったことない人にコテンパンにやられてしまうのだ。
これこそ、みんなで楽しめるゲーム、と言えるだろう。
麻雀も将棋も囲碁もオセロも完全に実力の世界だ、しかし、いわゆるすごろくというジャンルのゲームについては、実力に勝る”運”が必ず付きまとう。
一緒に同じ目的に向かって協力するゲーム、例えば三国無双のようなゲームの場合は、個人個人がそれぞれ好き勝手戦っていればよいから、実力差はあまり関係ない。
ただ、参加者同士が競い合うというゲームにおいては実力差がありすぎるとどうもよろしくないようだ。
そんな問題を解消してくれるのが桃鉄だったりする。
こんなゲームがあるとは思っても見なかった、何十年ぶりに遊んだ桃鉄はまさに、
昭和も平成も令和も定番
の名に恥じない、みんなが楽しめる素晴らしいゲームだったのでした。
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