最近思う事が有ります。
「叱られなくなったなぁ・・・」
と、アラフォーにもなると、親と警察くらいしか叱ってくれる人はいません。
下手したら親ですら何も言わなくなっているかもしれません。
仕事では、何十年もいると誰にも何も言われなくなっているかもしれません。
唯一叱ってくれるのは奥さんだけ、、なんて状況もあり得ます。
そんな叱られなくなった大人はどうなっていくかというと、
・ただの我儘で言うこと聞かない年寄り
の出来上がりです、叱られなくなると自分の言動を省みる機会がなくなり、自分が常に正しいと勘違いしてしまいます。
自分の言動はこれでいいのか?
誰にも叱られなくなったなら、自分で自分を評価する必要がありそうです。
会社の勤めの長い人達に対する諦め
勤め先で何十年も勤めている人達を思い浮かべてみると、
・自分のやり方に固執して周りの言うことを聞かない
なんて人が沢山いませんか?
そして、それらの年長者に対する対応はというと、、
「歳とった人には何言っても無駄だからやめとこう」
なんて雰囲気が漂ってませんか?
確かに下っ端が何言っても無駄なんですけど、、、上司はマネジメントが仕事なんですから諦めたらアカンとは思うんですけどね、、
まあ、それはいいとして、誰にも叱られなくなると、勤め先の年長者のような我儘な人達が出来上がるわけです。
現代社会も叱られなくなった
勤め先の会社だけではなく、現代社会でも叱られることは少なくなりました。
ちょっと注意したら逆に酷い目にあった
と言うニュースは面白いネタですから各社は嬉しそうに報道します。
この報道を受けた人たちは、
・めんどくさい人達には関わらないでおこう(叱るのはやめよう)
と言う思考回路になります。
煽り運転なんかも同じですね、本人同士で解決するのではなくて法律で規制するようになりました。
昔の人はそんなにおとなしくありませんでした。
島根で見た海の近くで食堂をしていたお婆さまは、、、店の前を通りかかった爆音の改造車に、
「うるさいんだよ!!!」
ってしっかりと叱り散らしていましたから・・
誰も叱ってくれないなら自分で自分の言動を決めなきゃいけない
先日も蕎麦屋で飯を食っていた時、若い子供連れの2家族がいつまでも席を占拠してウダウダしていました。
それだけならいいんですが、そのうちの1人が電話を取って
「俺コロナかもしんねぇっす、ヤバいっすね笑」
みたいな事を店の中でデカい声で喋っていたそうです(私は聞いてなかったから知らなかった)
しかもその電話の主は赤い顔していて熱がありそうな感じミエミエでこんな事を店の人みんなに聞こえる声で言うわけです。
だけど、、そんな人たちに関わったらめんどくさそうじゃないすか、、、
だから、誰も彼らを叱ることはしませんでした。
何が常識で、何が非常識かの切り分けは難しいですが、叱ってくれない世の中では、
・自分で自分の言動を決めなければいけない
のです。
車の運転、会社での素直さ、人との付き合い方、色々・・
行動は言葉はさまざまな瞬間で選び取らなければなりません。
車の運転をしている時、周りの車に危険を与えていないか?
今やクラクションはさほど鳴らされなくなりました、今は車のセーフティ機能が叱ってくれる時代です。
会社で新たなシステムの導入の際に素直に新しいやり方を受け入れることができるか?
自分のやり方に固執していないか?
お店に立ち寄った時に知らない間に自分の行動が周りに迷惑を変えていて距離を取られていないか?
私はコンビニにマスクなしで突撃していたのですが、、、やたらと幅広いソーシャルディスタンスを取られている事に気づいてからは・・・しょうがないのでマスクをしてコンビニに入るようにしました。。
私がマスクをしていなくても叱ってくれる人はいません。
叱るとしたら、おっさんが自分より立場が弱そうな人(子供や女性)にしか言いません(実際にそんな現場は見たことあります)
おっさんは同じおっさんの私にはおそらくマスクの件では何も言ってこないでしょう・・
叱られない世の中では、自分で気づいて言動を変えなきゃぁイカンのです。
空気を読むのもアレなので、まずは自分がされて嫌なことはやめよう
日本人社会においては、
・空気を読む
という難しい、と言うか私はあまり好きではないことを要求されます。
が、空気を読むのは私は嫌なので、まずは、
・自分がされたら嫌だと思うことはしない
という事を常に意識することから始めればいいのではないでしょうか。
叱られなくなった大人こそ、自分の言動に注意が必要です。
だって、、誰もあなたの軌道修正はしてくれないのですから・・・
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