父親を尊敬できる瞬間、アラフォーになって再確認する

 新年の挨拶の為に実家へ行く、父親は兄弟とその一族が集まった事でご機嫌となって、酒も進んでいる。

 私はというと、実家で気を遣うのは絶対に嫌なので、兄弟の一族に無理やり愛想を振りまいたり、話を聞いたりするのはめんどくさいので別の部屋に引っ込んでいた。

 すると、知らない間にお酒を飲みまくって出来上がった父親がふとやってきて言う。

 「○○家の将来の為に私は起業する!」(○○は私の苗字だ)

 と言い出した、父親は御年76歳である、私は感動してしまった。

 

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出た!ドリームキラー

 私の実家はものすごい山奥である、ほっとけば人がいなくなる地域、いわゆる限界集落も甚だしい。

 というような場所であるから土地は余っている、父親としては、植物を栽培・販売しようというのである。

 私は素晴らしい考えだと感じた、とりあえずやってみるべきだと心の中で感動していた、しかし、その話を聞いていた長男はお決まりの事を言い出す。

 「どうやって植物の栽培をし続けて、商品を供給し続けるのか?」

 確かにもっともな意見ではある、しかし、そのような事はどうでも良いのだ、まずは意中の植物が育つかどうかが問題であって、売れる売れないはその後の話だ、ましてや、流通に関しても売れてから、その後の話である。

 要するに、無理だ、と言いたいだけなのである。

 これがドリームキラーというやつである、家族に夢を語るとドリームキラーが各地から湧いてくるというのは聞いたことのある話ではあるが、なんとも目の前で体験するという事態であった。

 

だが、父親はそんなドリームキラーには負けまい

 私の父親は現役時代は自分一人で個人事業主として事業を行っていた、やはり、勤め人としてではなく自分で何かしらの事業をするという気質が備わっているのである。

 そのような気質の人間と、勤め人しかやったことのない兄弟との会話は、なんともかみ合わないものであった。

 そりゃそうだ、勤め人のみで副業すらやったことの無い人間に想像すらできない世界であるからだ。

 私はボロマンションの一室を買ってみてわかった、とりあえずやってみない事には何もわからないという事を。

 個人事業主として、我々を育て上げた父親に兄弟のくだらないドリームキラーは通じないであろう。

 

今更ながら気づく、父親の偉大さに

 20年前はまったく気づかなかった、個人事業主としてやっている父親のすごさに。

 今でも実家に帰るとさまざまな書籍が転がっている、今回転がっていたのは、

HTMLとJavaScriptの本たち・・・

 HTMLの本とJavaScriptの本である。。いったい何がしたいというのかはよくわからないが。。

 それにしても何歳になっても勉強をする、何歳になっても新たな事に挑戦する、という気概を持っているのだ。

 地域の頭の古いジジイ共と格闘し、市の古めかしい体制に抗い、いろいろ貢献を地域(というか集落)にしてきたようである(詳細はそんなに話さない)。

 これも全て、現状に甘んじることなく、進化しつづけようという思いが強いからであろう。

 父親がそんな思いを持っている事に気付けたのは、私がアラフォーになってからである。

 なぜ気づくのにこれほどまでに時間がかかったのか、それは、勤め人のみを行っていたからである、言われた事だけをやっているだけでは私の父親のような思想はまったく理解できないのだ。

 

私もあんな父親になりたいと思ってしまった

 76歳になっても新たな事に挑戦する、そんなジジイになりたいと思う。

 私の父親が言うには、大した財産を残せなかったから実家に誰も居つかないのだと言う、そこには子供たちに贅沢をさせられなかったという思いもあったようだ。

 言えなかったが、私はまったく贅沢をできなかったなどと思わない、確かに、大して欲しい物は買ってくれなかったが、その思想によって、今の私の節約思考に繋がっているかと思うと、何も悪い事はない。

 そんな父親の望みはやはり実家を誰かが継いでほしい、○○家を存続させてほしいという思いだろう。

 私は子供を作る事、残す事ができなかった、そう考えると父親には申し訳ない事をしたと思う。

 そして、父親のようになりたいと望んでも、私(ようするに息子)に自分の夢を語る、ということは私にはできないのだな、とふと感じる。

 人生に意味なんかないとは思うが、今の私の父親のようにはできないかと思うとちょっと寂しいと感じた2020年の新年であった。

 とは言え、私はまだアラフォーである、父親は76、私にはまだまだやれることは沢山あるのだ。

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