貯金という行為は個人に元々備わっている資質である可能性について

節約

私は節約家でセコい人間であります、これは昔々からの事であることをふと思い出しました。

とある若者が予定していた旅行がいけなくなって予定していた出費がなくなった途端にそのお金を別のブランド物に変えてしまっているのを見た時、

・・・これでは彼は絶対にお金は貯まらんな、、

と思ってしまいました。

普段の生活がギリギリで会社からの給料が入って来なければ破綻するような生活を続ける人もいますが、

私にはこの心情が全く理解できないのです。

私は、、もう20年以上も前のお話ですが、新卒で研修と称して監獄のような社宅に押し込まれていた時は手取り14万程度だったような記憶があります。

ただ、私はこの手取り14万から最低でも5万円を毎月貯金していたのです。

14万円から5万円となると36%程度を貯金している事となります、

確かに、家賃は社宅ですから安いですし、通勤費も出るため9万円程度で生活するのは容易だったでしょう、あまり覚えていませんが・・世の中の平均貯蓄割合は30%程度という話もありますが、14万という少ない金額から36%はかなりの破格の割合だったでしょう。

前述の浮いたお金をブランド物に変えてしまった若者では考えられない所業でしょう。

この貯金をするという行為は、実は貯金ができるという資質なのです。

さらに思い出されます、子供の頃は正月になるとお年玉という謎の金銭が舞い込んできます。

私の家はさほど親戚が多くありませんでしたから、1年で私に集まる金額は2〜3万円程度でした。

私の家庭では、確か、、小学校高学年くらいからお年玉は自分管理になったような気がしますので、高校を卒業するころには20万円程度になっていました。

そうです、私は小学生から高校までのお年玉をずっと使わずに貯め込んでいたのです!

そして、この20万円は大学に進学した時に、自動車学校の費用に消えていきました。

とんでもない記憶です、小学校高学年から高校生まで、欲しいもの満載の思春期を私はお年玉をずっと貯金し続けたのです。

これを資質と言わずしてなんというのでしょうか。。

お金に対する考え方というものはすごく重要な価値観です。

パートナーと一緒になろうという時にも、お金の価値観の同一性というのは非常に重要な要素の一つとなります。

私の属性は節約家で貯蓄をする人間ですから、一緒にいられるのも、節約家とは言わないまでも、普段貯金をすることを前提とした人間になります。

これは、お金の価値観が異なると一緒に居られないし、価値観が異なる人間とは親しくなりにくいということを意味します。

となった場合、冒頭の若者のように、貯金のできない人と一緒にいる人というのは、同じ価値観を持った、お金が浮いたらブランド品を買ってしまうような人と一緒になる、ということでもあります。

生まれもった資質を変えられるかどうかは、どのような訓練を行うかによります。

私はもしかしたら小さい頃から両親に知らない間にお金に関する訓練、というか洗脳を行なわれていたのかもしれません。

資質というものは、遺伝の影響を受けやすい場合があります、身体的特徴の身長や体重の遺伝率よりも、IQの遺伝率の方が高いというのが研究ではっきりしているようです。

じゃあ才能だからどうしようもないのか、、、ということもなくて、適切な訓練を受ければ改善していくこともはっきりしています。

では貯蓄をするための適切な訓練とは何か?と言われると、、毎月の収支を把握したり、欲しいものを減らしたり、もちろん、お金を稼ぐ、といった地道な努力になるでしょう。

貯金ができないというのは、部屋が片付けられない、というような苦手な特性の一部だと認識して、少しづつ変えていくしかないのでしょう。

私は今は幸いにも貯蓄ができるような体質になっています、給料が増えても使う金額を増やさずに生活を変えないようにしています。

このような行動ができるのは、将来的にはサラリーマンを辞められたらいいのに、と思っていて、自分でお金を稼ぐのは非常に難しいことを嫌というほど思い知らされたからです。

お金を稼ぐのが難しいにも関わらずサラリーマンを辞めたいとなれば、お金を使う金額を減らすしかありません。

この事実に向き合っているからこそ節約家であり続けるわけです、そして、お金を稼ぐ才能があまりないという事実にも向き合っています。

自分の残酷な特性と向き合うことから何かが始まるかもしれません、答えの出ない迷路にみんなで立ち向かっていきましょう。。。

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