猫はなつかないと言うが、そんなことはないしっかりと覚えている

独り言

 久しぶりに元の住まいにお邪魔した、そこには数年間生活を共にした猫がいる、猫は薄情だの気まぐれだのといろいろと言われるが、実際のところはどうなのだろうか。

 数か月振りにご対面するにゃんこの対応とはいかなるものであろうか。

 

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しっかり覚えているものである

 もともと共に過ごしていたにゃんこは全く人になつかない人見知りさんである。初対面の人間に対しては、最初は匂いを嗅ぎに近づいていくのであるが、一度違うと思った瞬間にはいわゆる”シャー”である。

 恐ろしい顔をして警戒の声発するのである、なんとも怖いにゃんこである。

 さて、数か月振りに会ったにゃんこは私に対してはどうだったか、、普通に対応してくれたのである、元々近づいてくることはなかったが、なでさせてくれるし抱っこもさせてくれるという出血大サービスであった。

 そうなのである、猫はしっかりと元の飼い主(または飯を運んでくる奴隷?)を覚えているのである。

 

そんな私も以前”シャー”を食らったこともある

 私の事を覚えていたにゃんこさんであるが、初対面の人間にはもれなく”シャー”の洗礼を浴びせるなかなか気難しいにゃんこである。

 私も一度”シャー”を食らったことがある、何をしたかというと、ブラッシングをしていた時である、猫は毛が抜ける時期がある為、ブラッシングをしつこく行っていたのだが、突然ご機嫌ななめになって怒りだしたのである。

 普段あまり凹まない私であるが、さすがにそのときは凹んだ。。それ以来しつこくブラッシングをするのを辞めたのは言うまでもない。

 要するに気にくわない事があれば怒るわけである、初対面の人間は気にくわないのであろう、私の事はしっかり覚えていたようだ、よかったよかった。。

 

そんな気難しいにゃんこに同僚ができるらしい

 飼い主は無類の動物好きである、私がいなくなったことで歯止めが利かないようだ、どうやら近々にゃんこ新入生を迎える予定とのことだ。

 非常に不安である、かなりの人見知りの先輩にゃんこが新入りと仲良くできるのであろうか、大丈夫であろうか、、

 私が心配してもしかたがないのであるが、そこは気になったことはトコトン調べつくす飼い主の特性が生かされることであろう。

 私の事を忘れていなかったにゃんこさん、人見知りではあっても猫見知りでは無い事を祈るのみである。

 

居住者の特性によって住まいの雰囲気はかわる

 私の元住まいはすっかり様変わりしてしまっていた、住まいというのは居住者によって色を変えるのである。

 ブレーキシステムが壊れてしまったのであろう、私は共同生活をしていたときからミニマリストに憧れ、隙あらば物を処分していくことに熱心であった。

 私がいなくなった部屋はどうなるであろうか、当然物が増えているのである、謎のチェアーやら水槽やら、やはりミニマリストでは無い人というのは物を増やす事に抵抗がないのだなと感慨深い思いを感じた。

 にゃんこは相変わらず壁や柱をバリバリする習性は残っているらしく、防御方法が大変な事になっていた、段ボールなどで壁や柱を保護してバリバリできないようにしている。

 私がいたころは景観を損なう為、明らかな防護措置は取らなかったが、これも居住者の特性である、私が言える事は何もないが勉強になる例であった。

 

やっぱりにゃんこはかわいい

 猫は元飼い主を覚えている、それが確認できただけでも満足である、なでたり抱っこをしてみて思うのはやはりにゃんこは柔らかくてかわいいものである。

 また共に住みたいかと言えば、住みたい住みたくない以前に今は一緒に住むことはできないと言える。

 独り暮らしでにゃんこと過ごすということは、引っ越しなどの行動が制限されるということである、今そのような措置を取る事はできない。

 なるべくならにゃんこにストレスを与えたくないものである、現状の住まいでは狭すぎてにゃんこも楽しくないであろう。

 犬に比べて確かに猫はなつかない面はあるが、しっかり覚えているのである、飼いやすさも相まって飼育数は猫の方が増えているようだ、その一方で捨てられている猫も依然としているのである。

 動物とともに住むというのは、その動物の人生(猫生?)に責任を持つという事である、そのことを肝に銘じて動物との生活をスタートしていただきたい。

 よって、今の私には動物との共同生活はできないのである。。。ただ、にゃんこがかわいいのは間違いない。

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