メモる事の意味

旧ブログからの移行

結局メモっていない、、ダメだな、

 

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メモを取る重要性に気づいて、実践しだした今日この頃。

今、会社で単純作業を延々と繰り返している。

この作業を行っている商品は客先に出荷してから3往復目、要するに3回目の手直し&見直し
になるわけだ。

即ち、3種類目の修理を行ったのち、今やっている事は3回目の検査。
よって、な〜んの価値も生んでいない事をやって、やった気になってしまってるという事。

こういう事をやっていると相当腹が立ってくる、あまりにも無駄すぎて。

なので、こういう意味のない事をやっている時は、色々考え事をする。

・そういえば昨日のジムの人、パソコン教室通ってるって言ってたな〜
そんなとこ行くくらいなら自分が教えるのにな〜

・そういえば昨日のジムの人、ネットショッピングできないって言ってたな〜
それくらい教えるけどな〜

等々、考えてると、これをもし実行して今後その人達ができるようになったら、すごい
その人の為になるんじゃない?という思いが湧いてきた、これって今の全く価値のない仕事
より全然有益じゃん!!と思い立つ。

で、その後も仕事して、また車を長々と運転して、飯食って家帰ると何が起きるかというと。。。

全部忘れてる!

う〜ん、これって考え損っていうかなんというか。。。その時はすごい画期的な考えと思って
絶対やってやるって思ってるくせに、時間経つと忘れるという、、、そういう風に人間はできてる。

ここで、メモの重要性に気づく。忘れてもいいようにメモ取ってるんだと。

本当にいろんな人が書籍やブログで発信されている、メモや日記をつけることの大事さを。

これまでは、これらを眺めてふ〜ん、という感じで終わっていたが、それじゃダメ、
実践しないと。

というわけで、ジムの人への提案事項をメモに書いて、来週のジムの時にいたら実行を目論む
わけです。

これって、今まで自分から率先して何かを教える事はあっただろうか、教える意識がなかったのかも
しれない、自分の独り言みたいな感じかな、しかもよく知った間柄で。
それを、あんまり知らない人に言ってみるというのは、結構楽しみ、なんとか実行したいね。

なんというか、これまでは人の世話をするというのはただのお節介と思っていたが、これはどうも
違うような気がしてきた、お節介ではなく、ただ単にみんなやり方を知らなかったし、やり方を
調べる方法がわからない人達だったのだと。
で、そのわからないし、調べようともしない人達に、自己満足的に代わりにやっている人達がいた、
という構造のようだ。

ならどうするか、やり方を教えて、やり方を調べる・勉強する方法を教えるのであれば、その自己満
達とは違う、という事。

この事に注意できれば、こんな自分でもなんとか人の役に立てるのかもしれないと思う。
今はなんの価値も生んでいない事を延々と続けている自分でも!

なんか気分上がってきた〜

 

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気分上げるってのは結構大事だと思う。

ネガティブになるといいこと無いと思うしね。

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