中国の国慶節という祝日に中国の工場に出張している、休日出勤&残業をして100名以上の老若男女が商品を作っている。
全ては新商品を発売日に間に合わせる為である。
私はミニマリストである、もはや物に興味はない、新たに便利な商品があれば手に入れても良いとは思うが、その新商品を発売日当日に手に入れたいなどという気持ちはまったく無くなってしまった。
そのような人間が工場にいる、なんと不思議な状況であろうか。
必要な物はすでにある、それなのに何故ここまで必死になる必要が?
現代は必要な物は全てそろっている、飢餓に苦しむような国以外であれば生きていくために必要な物は全てそろっている。
それなのに現場では作業者が一生懸命に商品を作り続けている、生きる為に必要のない物を休みなく作り続ける。
今作っている物は生活を豊かにする為の商品ではなく、趣味の商品である、いよいよ何のために作っているのか訳が分からない。
資本主義という枠組みの中で、誰かの利益の為に動かされているだけである。
本来であれば需要があるから供給されるはずである、しかし、今や確実に無理やりに需要を作り出し、そこに供給するという図式になっている。
必要のない物を必要であるかのように演出し、必要のない物を欲しがるように誘導し、利益を創出している。
いつからこんな事になってしまったのか、、
そろそろみんなミニマリストになってみてはどうか
昔の日本は3帖だか4帖半に家族みんなで住んでいた、そこには本当に必要な物だけがそろっていた、確かに豊な生活ではなかったかもしれない。
しかし、豊さの象徴であるかのように言われた当時の3種の神器?と呼ばれたテレビ・洗濯機・冷蔵庫であるが、今私はこのうち2つを使っていない。
テレビはスマホやPCに置き換わり、冷蔵庫はコンビニが代替えしている、洗濯機もコインランドリーの値段が下がれば必要なくなるだろう。
世の中が便利になったおかげで、本当に必要な新たな物というのは、劇的に生活を変える物、スマートフォンや自動運転などの画期的な商品や技術に置き換わった。
無理やり物欲を掘り起こす商品はもはや不要なのである、限りある地球資源のムダ使いである。
崇高な志が必要だ
企業理念というものがある、巨大な企業の理念は非常にわかりやすく、世の中にいかに貢献するかという理念を掲げている。
そこにはこの世に不要な物を送り出すという思想はなかったはずである、企業理念が作られた当時とは時代は変わった、解釈を変える必要がある。
中小企業に至っては、まともな理念などない、注文をもらってなんとか食つなぐのに必死である。
田舎の工場をいくつか回った時に強く感じた、自分の作っている物が何かもわからず、ただひたすら毎日同じ事を繰り返す、自分がしている事の意味を何も考えていない、そこには志などは何もないのである、毎日の生活の為、その生活とはメディアに踊らされた新たな欲しい物というものを手に入れる為だけの生活である。
考えすぎかもしれない、結局のところ私が暇すぎるだけなのかもしれない。。
ゴールは人それぞれだが
毎日同じ仕事をしている人のゴールとはなんだろうか、家族みんなと穏やかに暮らす事だろうか。
発売日に間に合わないからとやる気のない勤め人を中国に飛ばす管理職のゴールとはなんだろうか、関係各位に怒られない事だろうか。
毎月鬼のような住宅ローンを払っている人のゴールとはなんだろうか、ローンを払いきって家を自分の物にすることだろうか。
恐らくは何も考えていない、私もそうだった、毎月ローンを返し、家族とたまの旅行へ行き、無難に仕事をこなしていた。
これらがゴールだと勘違いしていた。
ローンを払い終わった家には今や住んでいない、家族はなくなった、仕事は相変わらず適度にこなしているが、今は副業の方が楽しかったりする。
ゴールっぽく見えていた物はほとんど失われてしまった。
要するにゴール設定を間違っていたのである。
みんな私と同じように間違っている、そのことに気づくお手伝いができればいいなと思わされた今回の不毛な中国出張である。
毎日同じことをしていては疑問に思う事もない、疑問を生じる事ができる私は幸せ者である。
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