またもや、勤め先の飲み会である、今回は久しぶりに昔からのなじみの他部署の人達とお話する機会を得た。
彼はまったく読書をしない、しかし、彼の中にはゴールがあるようなのである。
子供の成長による地域貢献
彼には子供がいる、男子二人が少年野球に入ったそうだ、このことにより彼の生活は一変したという。
土日はほぼ少年野球の準備に駆り出されるという、練習試合だのなんだのと、毎週毎週土日が潰れるそうだ。
時代は変わった、私も子供の頃(30年前。。。)少年野球をやっていたが、私の親がやる事など何もなかった、自分で自転車こいで学校まで勝手にいって、勝手に帰ってきたものだ。
しかし、現代の日本は時代が変わったのである、なんと、子供の送り迎えをしなければならないのである、まったくもって贅沢なお話である。
いつからか子供は親をタクシー代わりに使うようになってしまったのである。
彼はまったく運動をしないタイプであるにもかかわらず、土日という休日を少年野球のお手伝いという似合わない仕事に追われているのである。
・・・辛いであろうが、いわゆる地域貢献というものを実践しているのである。
夏休みのラジオ体操ですらも親同伴らしい
今はいわゆる夏休みである、これまた子供一人で行くわけではないらしい、親同伴なのだそうだ。
彼は早起きするついでに野球のノックを子供にしているらしい、彼は運動をまったくしない、その彼がなんとノックである、なんともらしくないが子供という原動力とはなんと偉大なことであろうか。
Youtubeを見て子供のバッティングフォームを修正する、チーム内の様子を見ていると明らかに自分の子供の能力が劣っていたらしい、そのために普段しない学習(Youtube)をして子供を指導しているという。
なんと熱心な親であろうか、子供は彼を変えるのである。
彼には理想とする会社もある
少年野球を通じて感じたことであろうか、彼は地域社会に貢献がしたいようだ。
勤め先はいわゆる製造業である、細かい作業もあり、高齢者になると老眼で目が見えなくなり作業ができなくなってくる。
彼の思いは高齢者であっても作れる製造現場であるという。
彼は読書をしない、全て経験のみで彼は作られている、その彼が抱いたゴールである。
彼は言う、ウチの会社でこの地域の全ての雇用をまかないたいのだ、老後2000万の資金を貯める必要はない、ウチの会社でいつまでも働いて給与を得てもらえばよいのだと。
そのためには高齢者であってもものづくりができる製造ラインを作りたいのだという。
地域社会への貢献と他者の生活、会社の発展というゴールを包括した素晴らしいゴールである。
繰り返すが彼は読書をしない、経験のみで上記の素晴らしいゴールを抱くことができているのである。
家族、地域、仕事が彼を作る
彼は結婚して3人の子供を育てている、地域も田舎であるからそれなりに関わりもあろう、そして仕事は一生懸命である。
私に無い物をたくさん持っている彼から生まれた発想、経験から紡ぎだされた発想は尊敬に値する、私には無い物である。
結婚して子供を作る、この生物として当然の行いから生まれた地域社会への貢献という思い。
これも一つの幸せであることに間違いはない、独り暮らしで子供がおらず、隣に誰が住んでいるかもわからず、いつ会社を辞めてもなんの支障もなく、仕事のやる気のない私。
彼の話を聞いて感動すら覚える、こんな生き方が俺にもあったのだろうかと、ただそれを今思っても仕方がない、彼とは違うゴールを見出すのが私の役目なのである。
人と比べても仕方がない、自分の人生は自分で決めればよい、他者との比較は無意味である。
彼の生き方は素晴らしく、私の生き方だって素晴らしいのである、みんな何かの意味をもって生きているのである、優劣などないということが言いたかった今回のお話である、参考になれば幸いです。
コメント