バチェラーを見ていて思う、結局丁寧な人間が残り、がさつな人間は落ちる

独り言
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私が唯一楽しみにしているAmazonプライムの番組、バチェラージャパン、1人の裕福でイケメンな独身男性をめぐって10数名の女性が最後の一人に選ばれる事を競い合う、と言う番組。

エピソードを重ねるにつれ、女性達が数人づつ落ちていくわけですが、どうしても気づく事がある。

・結局顔が良いのが残る

・ギャルっぽいのはさっさと消える

・がさつなのは見た目が良くても落ちる

という結果が見て取れる。

見た目が大事なのはよくわかって、ギャルっぽい人間と顔が他の人よりもイマイチな場合はさっさと落ちるのは当たり前として、一般人が気を付けなければいけないと感じるのは、

・がさつな人間は落ちる

という事実。

バチェラーに出てくる人間は相当数の応募者から厳選された方達である、水着のシーンを見ればわかるが、、全員スタイルが良すぎる事からみても、見た目と言うものは我々一般人が参考にできる事ではない。

ならば何を参考にすべきかと言うと、

人間性

に他ならない、バチェラーは経営者であったり、会社役員だったりするから、非常にできた人間で物腰が柔らかく、正確も穏やかで優しい人間だ。

一方で女性はというと、中にはがさつで、ああ、頭の中もお祭り状態なんだろうな、という人がいる。

がさつで頭がお祭り状態の人もバチェラーと話すときには、冷静を装う為に、しゃべる事をメモしてきたりして一生懸命に自分を装う、これは、バチェラーという優秀な人間にふさわしい自分を演出する為でもある。

バチェラーの女性版であるバチェロレッテでも同じ事で、最後の方まで残った男性は、非常に穏やかで物腰の柔らかい人間ばかりだった。

男性にしろ女性にしろ、残るのは、いわゆる丁寧っぽい人間ばかりだ。

優しい言葉使いをして、相手の気持ちを考え、自分の身なりだけでなく中身にも気を使う、まさに丁寧な人間を装っている。

番組内における演出である可能性も高いが、別に演出であっても同じ事で、残れるという事は、完全に演技をすることができたということであって、その時においては、丁寧な人間であった、ということだ。

バチェラーは現実離れしたお話だが、普段の生活だろうと同じこと。

人は見た目を第一に判断するし、正確がキツイ人間にはあまり近寄りたくないし、あっちよりの人達は漫画ウシジマくんに出てくるような目つきをしている。

見た目というのは装えるが、内面というのは実は知らない間に外面に出てくるものなのかもしれない。

普段の所作であったり、言葉の選び方、家での生活、外での振る舞い方、いろいろなところでの言動がその人間を作っている。

家ではまったく掃除ができなくてゴミ部屋である人間なら、勤め先でも同じように片付けはできないだろうし、外食で従業員にやさしくできない人間は、普段接している人達にも優しくできないように思える。

見られていない時、見えていない時の言動は結局は全てその人の中身だけでなく外見にもにじみ出てくる。

これはスピリチュアルな話だろうか?普段質素で丁寧な生活をしている僧侶の人が穏やかな雰囲気をまとっている事と同じじゃないか、決してスピリチュアルな話じゃない。

バチェラーの参加者のように生まれ持った外見は身に着ける事はできないが、内面は少しでも磨く事はできるはずだ、がさつな落選者やギャルっぽくて速攻で消えていく参加者を見て、学べる事が沢山ある。

バチェラーはやっぱりおもろいなぁ・・、なんで評価が低いんだろうか・・・

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