【考察】この世に存在する「ゴミ」の真実と、見えないところで暗躍する者たち

この度は、ある方のご実家の片付けを手伝った際、非常に興味深い、そして些か腹立たしい出来事に遭遇しましたので、そのことについて私の見解を述べていきたいと思います。

事の起こりは、片付けで出た大量の不用品、特に大型の農機具などを処分するため、とある買取業者に依頼したことに端を発します。彼らは一部の品物を買い取るどころか、むしろ「処分費用」を要求し、その対価として不用品を引き取っていったのです。確かに、労力と手間を考えれば、ある程度の費用が発生するのは理解できます。しかし、その後、私はあるリサイクルショップで驚くべき光景を目の当たりにしました。なんと、先日処分を依頼したはずの品々が、そこに堂々と並べられていたのです。

これは一体どういうことか? おそらく、彼らが持っていったものは、本来「買い取り」できる価値のあるものでした。それにも関わらず、依頼者からは「処分費用」を徴収し、さらに別の業者へ横流しすることで、二重の利益を得ている構図が浮かび上がってきます。もちろん、不用品を運ぶという労働には対価が発生するべきですが、その対価が、品物の価値を上回り、さらには詐欺まがいの手法で利益を貪るというのは、もはや労働とは呼べません。

この一件から、私は改めてこの世の中にある「ゴミ」について深く考えさせられました。

現代社会において、多くの品物は「買った瞬間からゴミ」と化す運命にあります。先日、私が5年以上使った衣類乾燥機や、Amazonで購入したメーカー不明のハンディクリーナーをリサイクルショップに持ち込んだ際も、案の定、一切値段はつきませんでした。たとえまだ使える品物であっても、市場価値がなければただのゴミと見なされてしまうのです。これは、私の過去の経験からも言えることですが、安価な輸入品を安易に購入してしまうと、手放す際にその価値のなさを痛感することになります。

つい最近も、車の車内で録音するために安物のピンマイクをAmazonで購入してしまいましたが、結局、iPhoneに近づけて録音する方がよほどクリアな音声が得られるという結論に至りました。1300円という僅かな出費であっても、それが吉野家の定食にも満たない価値しかないと悟った時、私はその品物を「買った瞬間にゴミ」として認識しました。

結局のところ、世の中のほとんどの品物は、その役割を終えた瞬間に「ゴミ」となり、その「ゴミ」を処理するという作業は、莫大な労力を要します。そして、その大変な作業を対価として商売にする者たちが、不当な利益を得ているという現状は、正直者が馬鹿を見る社会構造を象徴しているように感じられます。

昔は、地域社会が互いに助け合い、不用品の処理なども協力して行っていました。しかし、現代社会は全てが「お金」で解決されるようになり、その結果、労働の対価が不当に釣り上げられたり、今回のような悪質なケースが横行しているのです。

自分でできることは自分でやる。プロに任せる安心感も大切ですが、その「プロ」の単価があまりにも高すぎる場合、その価値を問い直す必要性を感じます。特に、住まいや不用品処理といった身近な事柄については、自分でやる精神を持つことが、こうした不条理な社会を生き抜くための賢明な選択なのかもしれません。

あなたにとって、価値あるものとゴミの境界線はどこにありますか?

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