安く済ませられる暇つぶしとして
ゴッドファーザー1、2、3
をAmazonPrimeVideoで見てみました
当然昔々に見た事があるはずですが、、
内容覚えてないので見てみました
内容としては
イタリア出身のマフィアの栄枯盛衰を描く
作品です、とはいえ、映画内では組織自体は盛衰はしていないように見えるのですが、この辺は後述。
映画の中ではゴッドファーザーという名の一番偉い人は
初代→2代目(三男)→3代目(甥)
へと移り変わりますが、
1作目は初代が主
2,3作目は2代目が主
で3代目に代わってからのお話はほぼありません
さてこのマフィア一家は何をしてる人達かというと
ギャンブルを仕切ったり
敵対するマフィアおよび裏切り者の身内を抹殺したり
なんとかして裏の稼業から表の稼業へ鞍替えしようとしたり
します
そんなゴッドファーザーとその一族のいろんな出来事を描くのがこの作品です
こんな感じでざっくり書いてしまうと、いったい何が面白いの?と自分でも思いつつ、、
3作すべてを見終わったときに相方に聞かれました
「結局言いたいことはなんだったの?」
と、、、これに私は
「・・・悪い事したらあかんでって感じ?」
という何とも語彙力のない返答をしてしまったわけです
長い間見続けられるゴッドファーザーがそんなしょぼい感想で片付けられるわけがありません、何かあるはずだ!
ってことで、その何かを考えてみます
フィクションはノンフィクションを描いていたりもする
映画や漫画みたいな話やなぁ
なんてことは現実にはいたるところに転がっています
東日本大震災の映像などは映画みたいですが現実です
世界のいたるところで起こっている紛争や戦争も現実です
そういう意味では、ゴッドファーザーの世界観は現実に起きている事を描写している
とも言えます
映画内ではちょっとしたことで主人公の親が殺され、
主人公はその親の仇を殺し
対立する組織からは主人公の息子が殺され
2代目のゴッドファーザーを裏切った兄は殺され
その他もろもろの対立組織の人間は次々と消されていきます
身内だけじゃなく、関連する親族が次々と狙われていくわけで、現実でも裏の世界では同じような事が繰り広げられていたんでしょう、きっと、たぶん・・
もちろん、ふつーに生きている我々はこのような危険な世界には生きていませんが、
映画のようなアブナイ世界を生きている人もいるのでしょう
そんな、安全な場所から、普通の人では体験できない世界を見せてくれるのが魅力の一つなのかもです
裏から表へ変わりたいのは家族の為
映画内では2代目のゴッドファーザーは合法的な表稼業へ移ろうとします、これは
家族の為
です、上記のような危険な世界では家族がいつ危険な目にあうか分かったものではありません
ですから、なんとかして安全な商売に鞍替えしようと画策するのですが、簡単にはいきません
最終的には、2代目の娘が銃弾に倒れて悲劇の中、2代目は引退
みたいなことになります
ちなみに、打たれた直後の俳優の嘆きは秀逸です、これもこの映画の魅力の一つか?
この悲劇は勧善懲悪の理論にのっとってるのかもしれません
私の語彙力のない感想
悪い事したらあかんで
ってのはここから絞り出したんでしょうね
登場人物多すぎてよくわからない問題
家族を大事にするお話ではありますが
あまり説明がないのも昔の映画の特徴
組織の人間なのか家族なのかの境界線も理解するのに一苦労
対立する組織のそれぞれのお偉いさんを理解するのも一苦労
2作目では初代の若いころの回想がありますが、役者が違うから誰が誰か理解するのに一苦労
3作目では2代目の子供が突然大人になっているし、それぞれの役者も年齢をかさねているから認知するのに一苦労
このあたりの関係性は、Wikiなどで復習しないとよくわかりません
映画の途中で関連図なんかを紹介してくれるとよいんですが、そんな野暮な事をしてくれる映画に出会った事はいまだかつてないですね
マフィアはどんな需要にこたえているのか
私は職業に貴賤はないと考える派ですので、
マフィア、、日本国でいうところの反社会勢力は
何らかの需要があって存在している
はずです
映画ではカジノなどのギャンブルを主に取り仕切っていますが、
日本でいうところのパチンコは一応、合法です
カジノも合法なわけですから、なぜ合法なところに非合法な人達が付帯するのか?
についてはこの映画ではわかりません
映画内でのゴッドファーザー組織は
非合法な麻薬
に関しては取り扱わない、という事を明確にしています
この麻薬は扱わない
というところに美学があるのか、では
敵対勢力の排除
はいいのか?
がよくわからないんですよね
結局のところ、家族を守る為とかいいながら、都合の悪い人間を次々排除するってのは、
自分の都合(という名の需要)
にだけ答えている自分本位な組織なのかもしれないです
自分の家族を守る為に、他の家族を傷つける
こんな人たちが偉大なのか?
そういう意味では初代ゴッドファーザーの若いころの描写では
困っている人を助ける
といった様子が強く感じられていました
それが、2代目になって自分および自身の一族本位へ変容した
このことが
盛衰
を表しているのかもしれないですね
となると、この映画が言いたいことは
悪い事したらあかん
ではなくて
自分本位でなくて全体の幸せを考えようよ
ということを言ってるのかもしれないです
ならば、マフィアや日本の反社会勢力は
その筋の人たちに頼るしかない人達の需要にこたえている
ってことになりますかね、例えば
銀行だけじゃなくてアイフルにすら金を借りられない人が闇金に借りる
といった形で合法的な手段ではどうしようもない人たちの受け皿になっている
ということなんでしょう
自分で選ぶことが大事
2代目の息子はオペラ歌手として成功します
娘は合法的な会社の一員として活躍し始める中で亡くなります
甥は3代目を継ぎます
これらの選択の中で
息子は自分自身で選び
甥も自分自身で選んでいる
娘は自分で選んだか?親に選ばれてないか?
というところが見られます
このことからもう一つ、言いたいことが見えます
自分自身で選ぶことが大事
と言うことが
2代目はビミョーにどうしようもなく継いだ感があって、組織や家族、自分の為にいろんな人を消していきます
自分が本当に望んでやっている事
と
流れで選んでしまったこと
の間には結果として大きな差が生まれる
んでしょう
流されることの意味
自分で望んで選ぶことの意味
を考えるきっかけになるのが
ゴッドファーザー3部作
だったり、じゃなかったり、するかもしれないし、そうじゃないかもしれない
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