生成AIなんぞまったく関係ない人たちがいるってことを考えてみると生きやすくなるかもしれん

独り言

NVIDIA(エヌビディア)の特集記事が面白い、将来はいろんな技術が発明されてもっと便利になっていくんだなぁと明るい気持ちになってくる

NVIDIA、AIの次はロボット Amazonの配送を支える仮想空間の秘密:日経ビジネス電子版

一方で

私の住む田舎集落には、AIの恩恵はどこにも見られない、これはどうなっているのか・・

もしかすると、AIやロボットなど、技術革新の影響を受けるのは、都会や先進国の人たちであって、後進国(もはや日本も怪しい)や田舎の人たちにはたいした影響はないのじゃないかと感じる

だって、AIは野菜の泥を落としてはくれないから

だって、AIは傾いた床の水平を出してはくれないから

だって、AIは大量に落ちた落ち葉を拾ってはくれないからでありまする

先日、忘年会で温泉に行った際にいつもお世話になっている、ご近所さんにお土産を買っていった

駐車場を貸してもらったり、野菜をもらったりと、いろいろしてもらっているので感謝の意味を含めて持って行ったわけだ

その次の日

大量のネギと大根のお返しをいただいた

名目上は雪が降るとネギが倒れてしまってどうにもならなくなるから、今の内にとってしまわないといけないから、ということだった

その野菜たちは、ちょっと雪が積もった下の土から掘り起こされたばかりで、大量の土がついている状態であった。。

ありがたくいただいて、雨の降る中、自宅の外についている水道で土を必死こいて落としていたわけだが、ふと思ったのは

この作業、AIはやってくれないな・・・

なんてことである

スーパーなどに置かれているキレイな野菜たちは、ある程度は大規模な農家で作られていて、それなりに効率化がはかられているだろうことは想像できる

効率化ができるということは、それらの大規模農家などにはAIやロボットを入れる余地はみえてくるだろう

だがしかし

個人で10坪ほどの農地で野菜を育てる分においては、小さい耕運機が必要なくらいで、AIも完全自動なロボットも必要ない

そして、その10坪ほどからの農地からとれる野菜は、、、、私がおすそ分けでもらう分だけみても

かなり膨大

なのであって、これらの農作物を育てるのに、AIもロボット(耕運機は使ってた)も必要ないのでありました

AIを使うために膨大な電力が必要となる、という話をよく耳にする

これは、冒頭のNVIDIAの記事にもでてくるが、AIに使われるNVIDIAのGPUが膨大に電力を使うからである

ひと昔前は、ビットコインを掘るのに大量の電力を使ったりしてたようだが、、今は生成AIを稼働させるのに大量の電気を使っている、というのが主流だそうな

ここでも疑問がある

私の近所の人は生成AIなんて使ってないすよ・・・

という素朴な疑問である

電力需要がひっ迫するから、電気料金が上がるだのなんだのと言われているが、それって、いったい誰の需要なの?

というのも疑問があるのが実態で、、

いったい誰やねん電気を膨大に使ってるやつわ・・

となるわけである

尚、野菜を作るのに電力は不要である、耕運機はガソリンで動いていた・・

恩恵を受ける人が限定的なのはしょうがない事なのか?という疑問がある

最新の技術をキャッチアップして、将来に備えよう

そんな謳い文句が世の中にはあふれているが、私の近所の人たちには最新の技術の恩恵を受けている様子はない

だけど、生きている、野菜を育てて、私におすそ分けしてくれる(ほんとにありがたい・・)

役割が違うと言ってしまえばそれまでなのだろうが、ホントにみんな、都会でセコセコしながら生きたいと思ってるのだろうか

大都市の複雑な物流が止まったら、大混乱するような環境で生きていきたいと思っているんだろうか

結局、みんな流されているだけなんかもしれん

流されるというよりも、誘導されている、といった方がよい

電気自動車などの陰謀論がよい例で、エンジン車生産で強い企業には勝てないから、あたらしい需要を起こして、新たな企業が儲けられるようにしよう

みたいなもので、資本主義社会というのは、誰かの主導でトレンドが起こり、そこに誘導することで、主導した人が儲かる、という側面もあったりする

結局電気自動車は下火になったわけだが、、これは考えてみれば当然で、エンジン車で自動車という機械の用途が満足するから、なのは明白

このようなことって、世の中にはたくさんある、

電気自動車がまったく必要ないように、生成AIだって、一部の人にはまったく必要ありませんでした、なんてことも十分にあり得るわけで

AIが不要になる場合は、生成AIビジネスが流行ったってことで、誘導した人たちが儲かって、踊らされた人達は、なんてことない、また日常に戻っていくことになる、かもしれない

ただ、最新のなんちゃらに誘導するってことが稼ぐことであることも間違いではない・・

もうある程度の便利さは飽和状態になっているのかもしれなくて、もっと便利さや快適さを求める人には、それらの道は準備されているけれど、

その道へ行くには、膨大なお金がいりますよ

ということになっているんじゃないかと感じる、問題なのは、便利になりますよ、もっと快適になりますよ、といって誘導する人たちが多すぎる事であって、それに踊らされる人たちが、やっぱり多すぎるわけだ

私は15年ほど前、当時の新築マンションを購入して住んだ事がある、、確かに快適だが、現在在住の築年数不明の家も、これはこれで雰囲気があって気に入っている

このことは、

・何に価値観を置くか?

問題なのであって、最新のこんな設備、あんな快適さがありますよ、という謳い文句に流されるのか、それとも

自分の価値観はこうだから、必ずしも新しいモノがいいものとは思わない

という、自分目線で物事を見る事が、より一層大事な世の中になってきたと感じる

自分の価値観を持っていないと、誰かの誘導に流されて、なんだかよくわからないうちにローンまみれになって、、ローンを払い終わるのは70歳以上、なんてのはザラに見受けられる

たしかに、長い間働き続けなきゃいけないのは間違いないが、35年ローンを組んで、70歳を過ぎてまで借金を払い続ける未来って、明るいだろうか?

こんな人生設計は、自分が望んで選んだことなんだろうか

生成AI、ロボット、それに伴う大量の電力需要、自宅購入時の謎の太陽光発電設置、電力が足りないといって再稼働される原発・・・

誰の仕業なんでしょう?

もしかしたら、誘導している人たちの仕業じゃなくて、流されている我々の仕業だったとしたら怖いですなぁ・・・

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