年末年始を東京へ旅行してみて思うことがある(私は冬はずっと雨と雪が降る、いわゆる裏日本という田舎に住んでいる)
「東京にいたら一般人は辛いだろうな・・・」
という何とも切ない気持ちだ。
なぜこんなことを思うかというと、、、高級車が走りまくり、高級店が立ち並び、巨大な建物で膨大なお金を稼ぐ人達がたくさんいて、、、お金の力で出来ることは非常に多彩だからだ。
いわゆる格差、というものに属するのだろうが、住む場所ひとつとっても、都心に住むには家賃がべらぼうに高い。
駅ひとつ違えば世界が変わる、さまざまな生き方と属性を選ばざるを得ない東京、自分がどうやって生きるかをしっかり選択できないと、、
東京に居続けるのは辛そうだ。。
田舎は選択肢が少ない
私の住む地域は人口20万人くらいの田舎だ。
フェラーリやポルシェを見ることはほとんどないし、高層ビルなんてものはあったとしても公務員の建物だけだ。
電車通勤をする人は稀で、田舎の広大な土地に建設された工場へ自家用車で出勤していく。
工場勤務じゃなければ、飲食店などのサービス業、または中小零細企業で働く。
一番金を持っていそうな人は、中小零細企業の経営者じゃなければ、田舎にある上場企業の子会社やグループ会社に勤める人達と歳をとった公務員くらいのものだ。
それらの人達はというと、あっても年収は一千万くらいで、年収が億、なんて人はまずお目にかかることはない。
私の勤める会社で言えば、パートの人が年収200万くらい、15年くらい勤めている私が年収500万ていど、会社のトップでも年収1000万をちょっと超えるくらいだ。
格差があっても、大したレベルじゃないから、生き方はさほど幅広くないわけだ。
東京は旅行で来ただけでも格差を感じる
年末年始の東京はお休みだから、平日の満員電車に揺られるサラリーマンがいない。
車はさほど走っていないが、たまに走っている車はというと、
フェラーリ、ポルシェ、ベンツ、BMW、ベントレー・・・
いわゆる外車ばかりで、たまに走っている日本車は4ナンバーの商用車だけだった。
六本木や表参道を歩いてみると、高そうなワンコを散歩させている人達とすれ違う、ワンコを散歩させているということは、、その周辺に住んでいる、ということに他ならない。
その辺にある不動産屋の情報を見てみると、
1LDKで家賃月ウン十万、、という表示が散見される、要するに、それだけの家賃の部屋に平気で住んでいる人達がたくさんいて、高級な毛並みの揃ったワンコ達を複数管理できるお金持ちと、今まさに私はすれ違っているわけだったりする。。
一方でコンビニや安い飲食店に入ってみると、店員は全て日本国籍ではなさそうな人達ばかりだ、時給1000円強では家賃10万円以上する部屋には住めないだろう。
・・・明らかな格差をちょっと旅行しただけで感じられるのが東京という場所だったりする。
自分がどこに属するかの選択肢が多彩すぎる
田舎の場合は属性の選択肢は少ない、工場勤務かサービス業か公務員かそれとも事業主か、、それぞれの稼いでいる額も、休みの日数も対して違いはない。
一方で東京の場合は、住む地域から働き方から、ちょっと場所が変われば属性が変わる。
私は一時期神奈川の片田舎に住んでいたが、そこにいたのは就職してたまたまそこに社宅があったからで、自分で選んだのかどうかすらわからない。
今はネットで何でも探せるから、自分で選ぶこともある程度は可能だろうから、通勤時間を犠牲にすれば、遠い場所で家賃の安いところを探すこともできるだろう。
ひとつ駅が変われば雰囲気が劇的に変わる東京において、どこに住むか?ということはどこに属するか?ということを決めることでもある。
都心に住むのなら、安い給料の自分では満足できずに背伸びをする必要があるかもしれない。
郊外に住むのなら、安い給料でもそれなりに満足して節約生活を追求することもできるかもしれない。
選択肢が多彩すぎる東京のような都会は、、自分自身で属する場所を選ぶ必要があるし、より自分自身で納得して生きていく必要があるわけだ。
今の状況は自分自身が選んだ結果であり、今後も同じこと
東京で苦しい状況で生きていくのも、余裕のある生活を送っていくのも、全ては自分で選んだ結果だったりする。
東京で余裕のある生活をするための方法論は私にはわからないけど、自分の周りにいる5人の平均が自分の平均年収だ、などという格言もあることだから。。
お金持ちと一緒にいられるような場所や所属、属性を手にすることが余裕のある生活を送るための秘訣だとするならば、今自分が苦しいなら、自分と似たような人達とつるんでいるだけではどうしようもない、ということになる。
つるむ人達も、考え方も、住む場所も、所属するコミュニティも、全てが東京で余裕のある生活が送れる、ための行動に変わっていかないと、日々苦しむのは、結局は自分自身の選択であるわけだ。
私は東京に住んだことないからわからないけど、イケハヤさんが昔流行らせた
まだ東京で消耗しているの
という言葉は、苦しい境遇で苦労している人たちが、何とかして東京で這いあがろうとして消耗する人達に向けた言葉だったのかもしれない。
そして、、、田舎に来れば、キラキラした生活は目の前から消え失せて、楽になれる、ということに他ならない。
東京で生きるなら、自分の生き方に納得しないと、大多数の人たちが辛い目にあう、そんなことを感じた年末年始だった。。
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