不自由な生活をする事で逆に自由を感じたり幸せである事を実感する

旅行

便利な世の中になりました。

いつだって食べ物が食べられて、いつだってあったかい布団で寝られて、いつだってキレイなトイレで用を足せる。

この生活が当たり前になっています。

たまに不自由な生活をする事で今の当たり前の生活が自由であったり、幸せである事を実感できる事があります。

いつもと違う環境に身を置くと、今の幸せを実感します。

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当たり前の事が当たり前でない環境に身を置く

発展途上などの海外に行くと、不自由な事が多いのですが、今はコロナ渦の影響で行けないので日本国内で適度にいつもと違う環境を体験できる場所を考えてみます。

富士山に登ってみる

富士山登山は日本最高峰ではありますが、意外と便利な場所で適度に不自由を感じられる場所です。

普段からたくさん登山をしていて足腰の強い人ならば日帰りで登れますが、凡人ならば山小屋で泊まる事になります(いわゆる御来光を見る為に泊まる)

この山小屋、、標高3000m以上の場所にあるのですから環境はさほど良いわけではありません。

トイレに行くにもお金がかかる

山小屋にはトイレがありますが、チップ制です。

お金を気にしない人ならばじゃんじゃんチップ払ってトイレに行くでしょうが、私の場合はセコイので、いつもよりもトイレを我慢します。

普段1時間に1回だろうと、何回だろうと自由に行けるトイレが、とたんに不自由になるのです。

当然ながらウォッシュレットなどという文明の利器もありません。

今の生活は、本当に便利になったと感じる瞬間です。

寝る場所はほぼほぼ雑魚寝

山小屋は基本的に狭いです、寝る場所は個室があるわけではなく、2段になった場所に寝袋がいくつも置いてある状態です。

いうなれば、カプセルホテルの壁がないような場所です。

この場所で寝るわけですが、どういう現象が起きるかというと、、

チェックインする時間はまちまちですから、自分が寝ていようとやってくる人達が沢山います。

起きる時間もまちまちですから、自分が寝ていようと起きて出かけていく人が沢山います。

いびきの大きい人がいますし、団体がしゃべっている場合もありますし、体調不良(プチ鉱山病)の人がいて嘔吐してたりもします。

気温は10℃以下になりますし、寝袋はいろんな人が使うので臭いです笑

とまあこのような環境で寝る事になるわけですから、かなりの図太さが必要になります。

普段我々は静かで環境の良い場所で自由に寝ていられている事を実感できる瞬間です。

なんでもお金で解決するが物価は高い

トイレは一回利用するのに200円です、山小屋は簡単な食事がついて1泊10000円以上します。

ペットボトルの飲み物は、600円したりします。

これらの物価の高騰は、標高3000m以上、という環境の為です。

とりわけ液体は重い為、持ち上げてくるのに大変な労力がかかるために値段が高騰するわけです。

富士山へ登る前に駐車場を管理するおじさんが言っていたのは、

「忘れ物ない?まあ、お金さえあればなんとかなるよ」

と言ったように、たしかにお金さえあればなんとかなりますが、普段の生活とはまた違う物価を体験する事になり、普段の物価の安さに感謝する事ができます。

自分の足で進むしかない

富士山では当然ながら自分の足で進むしかありません。

そこには電車もタクシーも車も自転車もありません、ただひたすら自分の足で進むだけです。

歩いて歩いて歩きまくった結果、足はかなり痛くなります。

普段いかに楽して移動しているかを体感できる瞬間です。

ゴミは全て自分で持ち帰る

自分で出したごみは全て自分で持ち帰る必要があります。

いつもならば簡単に買って、簡単にコンビニなどに捨てる人もいるでしょう。

富士山ではそうは行きません、ゴミ箱などはないのです。

いかに普段は自由にごみを出しているかを実感できる瞬間です。

自由に慣れすぎていないか

このように普段と違う不自由な環境に身を置く事で、日常がいかに自由なのかを体感できます。

・いつでもキレイなトイレを利用でき

・静かな場所の柔らかいベッドで寝る事ができ

・安価に食べ物を買う事ができ

・自分の足でなく電車や車で移動でき

・なんでもかんでも買ってはゴミに変化させる

普段の生活とはこれほどまでに自由で便利な環境である事は慣れてしまって気づかないものです。

不自由を知って、今の自由に満足する

便利すぎる世の中に慣れていませんか、いつもと違う環境に身を置いて、いかに自分が恵まれているかを体感してみてはいかがでしょう。

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