何年もゲームを続けるモチベーションはどこからくるのか

独り言

年末年始はこたつをレンタルしてテレビを設置し、任天堂スイッチを入手し、自宅でゴロゴロする環境を完備した結果、

・結局プライムビデオで映画を見るのが一番面白い

という結論に達し、こたつを返却しスイッチを売却した。

そんな中、ずっとスマホゲームを続けている人達もいる、私にはまったく理解不能なのだが、彼らのモチベーションは一体なになのだろうか?

いわゆる、

・疑似承認欲求の充足

とでもいうのだろうか。

私は久しぶりにゲームをやってみたわけだが、結局のところは、

過去の思い出はしょせん思い出で、現代においては新しい刺激を求めているということで、私にとって現代のゲームもあたらしい刺激にはならなかったということなのだろう。

一方で、いまでもスマホゲームを延々と続けている人もいる、その人に何が面白いのかを聞いてみると、、

・強いカードを手に入れる事

と言っていた、私にはさっぱり意味がわからないが、時間をかけた物事に対する報酬として、レアなカードを入手する、という出来事が行われていると推測するしかない。

自分の時間と引き換えにレアなカードを手に入れる

このことに快感を覚えるというのは一体どういう事だろうか、上記のゲームをしている人は普通の勤め人でそれなりに出世していて、子供もいて家族もある、という属性だ。

それにもかかわらず、レアなカードを手に入れる事が快感であるということは、普段の生活の中において達成感のある出来事がない、ということなのだろうか。

仕事はやってもやらなくてもたいして変わらないし、家庭ではなんかよくわからんけど奥さんには文句言われる、てな感じだろうか。

普段の心の隙間を、、スマホゲームのレアカードゲットで埋めている、誰からも褒められない普段の生活ではなく、時間をかければかけた分だけ返してくれるスマホゲームの報酬で心の隙間を埋めとる、のかもしれませんな。

ゲームというのは人間の心理を理解してうまく難易度などを設定したものが良質なゲームとされるわけです。

昔私がやった、デモンズソウルというゲームは、当時では珍しい、いわゆる死にゲーと呼ばれる難易度の高いゲームでしたが、敵のパターンを学習し、何度も何度も失敗する事で学び、少しづつ前進できる、というよくできたゲームでした。

昔は仕事や人間関係が困難や失敗を体験させて乗り越える、という事を自然と提供していたわけですが、今や、ゲームが人生よりも簡単に困難と達成感を提供するようになった、というわけです。

前述の彼は、とあるスマホゲームを8年間も続けているそうな、それを聞いて思ったのは、8年間もゲームを続けさせるイベントを起こし続けるゲーム会社に関心してしまいます。

ゲーム会社というのは、、人々に娯楽を提供し人生を豊かに過ごしてほしいと願って様々な楽しいイベントを企画するのでしょう。

ただ、、、疑似承認欲求の充足、を満足させる終わりのないレースをずっとさせ続ける事に対しては、一体どのように考えているのでしょうか。。

みんなが楽しんでくれればいいじゃん

確かにその通りで、楽しみを提供するのは最高ですが、、それにしても、その楽しみは長期的に見たときに何か得るものがあるのか、という事を考えてしまう私にはもはやゲームは向かない、という事がはっきりしただけのことでした。

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