日々なんかしらんけど生きていてもいいんですよ

独り言

最近の生活ルーチーンは、

平日は朝4:30に起きて弁当作って、ちょっとストレッチして、会社へ行って、帰ってきて飯作って、風呂入って9時に寝る。

休日は公共運動施設に行って、ストレッチして筋トレしてプールで泳いで、サウナに3時間くらい入って、疲れ切って飯食って寝る。

みたいな生活を送ってますが、別にこんなもんでいいわけです。

私の場合はたまたまパートナーがいるので、一緒に上記のルーチーンをやっているわけですが、これが一人やったらどうか?多分、あんまり変わんないですね。

一人暮しをしていた時も、朝5時に起きて、ジムに行って、会社行って、昼飯に安い弁当を食って、帰りにスーパーで割引総菜を買って、家で玄米炊いて食って、ちょっとストレッチして、AmazonPrimeVideo見て寝る。

って感じですね。

別にこれでいいんですよ、なんか問題ありますかね?

こんな平凡な生活が問題だ、と思う場合は何が原因なのでしょうか、その要因はおそらく、

・他者との比較

にあるでしょうね。

テレビを持っている人であれば、テレビの中のキラキラした世界と比較するでしょうし、

SNSを頻繁に見ている人であれば、SNS内のリア充と比較するでしょうし、

ギラギラした週刊誌をよく見る人であれば、面白おかしく書かれた世の中と比較するでしょうし、

色々な比較対象と比べて、自分はなんて平凡な・・・などと考えてしまうと不満になってしまったりするのでしょう。

私は冒頭のような生活をしていて特に不満は無いのですが、その方法として、知らないうちに比較してしまうであろう対象を排除する事にしました。

・テレビを見ない

もともとテレビは数年前から持っていないのですが、テレビを見ない事で映像の向こうのキラキラした世界と比較する事はなくなりました。

・SNSを見ない

FaceBookは元々やっていませんし、ツイッターもフォローを外しまくり、インスタのアプリを消しました、これで、SNSの向こうのリア充たちと比較する事はなくなりました。

・雑誌を見ない

もともと週刊誌の立ち読みを毎週毎週飽きもせず行っていたのですが、思い立って辞めてみました、そうすると面白おかしく表現されているフィクションの世界と比較する事がなくなりました。

これらの比較を辞めると、何が残るかというと、さて、自分は一体何者なんや?という素朴な疑問です。

自分は何者か?というと、

・タダの凡人

という結論になります、このことを理解できたならば、凡人なんだから平凡な生活を送ってあたりまえやん、という納得感が生まれます。

ちなみに、凡人であっても世の中とはしっかり繋がっています、

賃貸物件に住んでいれば大家さんに家賃を払っているし、水光熱費も業者に支払っている、

毎日ご飯を食べているんだから、スーパーやドラッグストアにお金を支払っている、

お金を支払って生活しているってことは、働いている人達の給料の元になっているのですから、世の中に貢献できているのです。

誰の役に立っているかわからない会社の仕事も、何か知らんけど誰かの役に立っているから会社があるわけです。

生活していく事そのものが社会とつながっていて、社会に貢献できているってもんです。

これ以上に何を望みますか?

平凡な生活をしていても社会とはつながっているわけですから、別に誰かを攻撃しなくてもいいわけです。

SNSで誰かを貶める事が快感となっている人もいるでしょうが、これはSNSやテレビをみて羨ましくなるから、自分と比較してしまうから関わってしまうのです。

誰かを批判しなくても、平凡に生きていても世の中とはつながっているんだから、平和に生きていく方が安全です。

今日と同じ明日、昨日と同じ今日、別にそれでもいいじゃないか、と考えれば生きやすくなりまっせ。

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