新型コロナウイルスの影響により、外出の機会が減った人もいるでしょう、イベントが中止になって、自宅で過ごす事が増えた人もいるでしょう。
家族や友達と自宅や仲間の部屋で過ごす、という時間の大事さをこの機会に改めて認識することになった。
私は一人暮らしで実家からは離れて暮らしている、一人に慣れ過ぎたこともあるが、たまに女性や同僚などと一緒に過ごしていると思う。
人と一緒にいるというのは幸せな事だなぁと。
誰かと一緒に過ごす事に慣れるとその幸せに気づかない
私は基本的に友達がいない、勤め先の仕事が終わったら週刊誌(漫画・・)を立ち読みして、スーパーの割引弁当を食って自宅に帰る日々だ。
このような境遇の人は多いと思うが、友達が多い人や、家族と一緒に暮らしている人からすると、理解できない生活かもしれない。
自宅に帰ると誰かが居る、家族の分も含めて食事を作る為に仕事帰りにスーパーへ寄って食材を購入して帰る。
家に帰る必要のない私、スーパーには弁当を食べにいく為だけに行く私とは大違いの行動になる。
食事を作るのは確かに煩わしい、メニューを考えたり食材を持って帰るのもめんどくさい、ただ、それは愛する家族の為のはずだ、誰かの役に立つ事ほど幸せな事はない、日々の生活では気づかない事なのかもしれない。
私はスーパーのボロいイートインスペースの一角で冷たい弁当を食っている、そのような生活がしたいだろうか、家に誰かがいるとは煩わしくも素敵なもの事なのだ。
イベントなどの中止でも家族や友人と一緒にやれる事はある
イベントの自粛などで、飲食店やタクシーなどでは利用者が減っているそうだ、普段外に出ていた人達が何処へいったかというと、自宅などで過ごしているということのはずだ。
ただ、私から見れば家族や友人が多い人であれば自宅で一緒に暮らすという事すらも一種のイベントと言える。
私が部屋で一人でいれば、動画を見たり、本を読んだりしてそれこそどこでも出来る事をたまたま部屋でやっている、というだけのことだ。
最近仲よくなった女性宅で久しぶりに料理をしてみたが、手間のかかる料理を一緒に作ることができれば、それは一大イベントとなり得る。
料理に限らない、この機会に部屋の大掃除をしてもいいだろう、空気入替の為の換気も兼ねて部屋の掃除を行えば気分もすっきりする。
このように家族にとどまらず、友人同士といっしょにいるだけで自宅であってもイベント会場となるわけなのだ。
自宅でやれる事とは意外に多い
私が結婚していた時に自宅でしていたことはなんだったろうかと考えてみた、
二人で同じゲームをしてみたり(確か三国無双)、アニメを1シーズンぶっ続けで見たり、二人でお酒を飲んだり、と基本的にはインドアな感じの行動を取っていたわけだ。
ただ、お酒を飲む、という行為に関しては再度見直してみる価値はあるだろう、飲みに行くと言えば外の居酒屋やおしゃれなバー的なところに行くのもいいが、家族や友人達と食事を作って家飲みする、というのは費用も安上がりで結局やっている事はかわらない(酒飲んでしゃべってるだけ)ので非常に有益な時間となる。
家飲みは自宅待機には最高のイベントだ。
そして、これは個人的な趣味の話しとなるが、4人そろえば自宅で麻雀をする事も可能だろう、麻雀であればあっという間に数時間経過する事ができる。
自宅でやれる事は意外と多いのだ。
家族やコミュニティとのつながりが幸せの原則
何かの本で読んだ、
・家族やコミュニティとのつながりが幸せの原則
だと。
一人暮らしをして1年半が経つ、最初は自由な時間を満喫していたが、それも飽きてくるし慣れてくる、しかし、誰かと過ごす時間を知ってしまうと、誰かと一緒に居たくなってしまう。
どちらに慣れるのはいいのかどうかは分からない。
ずっと誰かと一緒に居れるわけでもない。
それでも一緒にいて幸せだと思える人達を探すのをあきらめてしまえば、幸せの原則を放棄するということになる、人生の楽しみの一つを放棄するということなわけだ。
閑散とした街を見て(もともと閑散としているが、、)、久しぶりに誰かと一緒に何かをやってみて、家族とコミュニティのつながりの大事さを再認識する。
一人になれば分かる、家族や友人の大事さというものが。
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