前田裕二先生のメモの魔力、たしかにメモの威力は魔力と言っても過言ではない。
私もまんまと影響されてメモを取り出した人間の一人だ。
それに影響されてかはわからないが、最近勤め先の若者のお悩み相談を始めてみた。
メールベースでのお悩み相談だ、これが意外と楽しかったりする。
口下手な人は多い、ならば文章として自分の思いや悩みを書き連ねる事で気づく事は多々あるのだ。
文章は残る為、後に見直す事ができる
文章でやり取りをする中で思ったのは、文章は残るということである、もちろん言葉も録音すれば残るのであるが、さっと見直したりするというような行為は音声には無い魅力となる。
そして、文章として内容を考える瞬間も有用な時間となる。
自分の悩みを書くことになるのであれば、本当に自分が悩んでいる事は何なのか?自分が思っている事は何なのか?ということを考えなければ文章として表現することは難しい。
ただの自分の思いを書き連ねる場合もあるだろうが、それにしたって雲散霧消していく自分の思いではなく、文字として書き起こすということは消え去る事のない自分の思いが表現されるわけである。
文字として書き起こす事で本当に自分の思っている事がわかる、そんな事はザラである。
このことからも文章とすることの優位性は計り知れないのである。
文章にすると冷たい説は本当か
文章でのやり取りは冷たい印象になる、書いている人の表情がわからないから、等という人たちもいる。
しかし、このことは少し考えれば分かることだろう。
世の中にある書籍がすべて冷たい印象だろうか?ということである。
楽しい小説もあれば、シリアスな小説もある、当然のことだ、全ての文章が冷たい印象になるわけがないのである。
であるならば文章でのやり取りも同様だ、表情がわからないからこそ、事実の認定が正しくなされる場合もある。
言葉では思わず言ってしまう事も、文章であれば推敲することができる。
音声とは異なるコミュニケーションツールと考えられるのだ。
意外と人は文章を書ける
本を読まない人たちが増えた昨今、文章を読む機会も減れば、文章を書く機会も減ってきているだろう。
そんな時代にあって、若者達は文章を書けるのだろうか?という疑問があったのだが、この疑問は杞憂に終わった。
なんと言っても人は言葉を話す、その言葉を単に書けばいいだけだからである。
そして、言葉を話すのが苦手でも、自分の中に思っている事はある、次から次へと言葉が出てこなくても、文章であれば、時間をかけて書くこともできる。
若者は文章を書けるのだ、そして、文章のやり取りは可能なのである。
文章で人を応援する
そんな若者達の悩みに関して、説教する人たちがいる。
あれがダメだ、こうしろああしろ、延々と説教を続ける事は簡単です。
足りない事はたしかにあるかもしれないが、足りなくて当然、足りないなら足して行けばいいだけなのです。
説教されて、その悔しさから奮起する人もいるでしょうが、皆がそうではない、中には説教によって心を折られて沈んでしまう人もいる。
言葉で伝える事ではその瞬間で消えていく、文章で残る言葉でそれぞれの若者を応援していく事ができたら楽しいだろう。
そんな事を始めてみた、これもアラフォーにして初めてやってみるシリーズである。
文章で人を応援する、そんな事ができたら素敵やん♫
誰も読んでないでしょうが・・・もし悩み事や愚痴をぶち撒けたい人がいれば問い合わせフォームより連絡ください、何かしらの返信をすると思います・・・笑
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