勤め先の出張でカンボジア田舎の工場へやってきた、工場の敷地内は広大であり、東京ドーム20数個分というような敷地である。
その中に、宿舎や工場が建っており、仕事⇔宿舎の往復で生活ができるような仕組みになっている。
元々の工場資本は台湾系であり、管理者は台湾や中国からやってきて、宿舎に住んでおり、地元に帰るのは半年に1回という頻度だそうだ。
そのような境遇で働く人達の思想とはいかなる物なのだろうか。
崇高な思想はなかった
台湾や中国から出向している管理者の方と食事をする機会を得た、最近会社に入った品質管理の部長という方がやたらと話をするので、いつもは興味がないが聞いてみた。
「なぜこの仕事をしているのか?」
ということを、
彼の答えは、通訳を介しているので正確ではないだろうが、定年前となり、大企業にいるよりも中小企業にいる方が定年後も働けるから。
というような答えであった、私の聞きたかった事はそういう事ではない、こんな僻地までくるのである、この仕事を通じて世の中に影響を与えたいと思う事は何なのか?という事が聞きたかったのである。
もう一度通訳を介して聞いてみたが、彼は社会貢献には興味が無く、あくまで利己的な理由でここにいる、ということであった。
大企業で様々な仕事をこなし、その内容を高らかに話し続ける、いわゆる引き抜かれた品質担当部長の信条は利己的な考え方しかないのである。
他にも新婚さんだが単身赴任の人もいる
他にはアラサーの男性もいたが、彼は最近結婚した新婚さんであるらしい。
もちろん奥さんをカンボジアに連れてくることはしないようで、早くも離れ離れの生活で単身赴任をしているようだ。
この辺の事情も日本の企業と変わらないのだとしみじみ感じた。
結婚などでお金が必要となった人間、言い換えるとお金が必要な為に会社を辞める事がやや困難な人間を上手にコントロールして僻地に飛ばす。
絵にかいたような単身赴任の状態をまさかカンボジアで見聞きする事になるとは思わなかったが、これも現実である。
僻地での工場建設のメリット
広大な土地を取得する事のメリットとして、よく喋る品質部長の見立てとしては、将来土地が値上がりした時に儲かるという考え方であった。
確かにその通りである、将来必ず発展することになるであろうカンボジアに広大な土地と持ち、値上がりしたら土地を貸すなり売るなりすれば、莫大な利益が得られるということである。
メリットはそれだけではない、僻地であるがゆえに、仕事しかやる事がないという状態に陥らせる事ができるのである。
確かに、宿舎にはプールやフィットネス器具、カラオケルームなどが設置されており、ある程度の娯楽施設を完備している。
しかし、それよりも、いつでも工場に行けるという事、そして、周りには何もないという事実が、基本的には仕事をしまくるしかないという状態を作り上げているのである。
食事の最中にも言っていた、いつでも職場に行けるから便利だと。。。すっかり仕事人間のできあがりである。
やっぱり特に思想はない
このような仕事人間製造所を作り上げた企業側も素晴らしいが、働く人達はどう思うのか、今度は中国工場時代から勤め続けて、今回カンボジア工場の製造部長となった方に話を聞いてみた。
なぜこの仕事をするのか?
答えは簡単であった、みんなが来たがらないから私が来ている。
という事である、そこに思想は感じられない、まあ、嫌だけど行ってもいいよ、的な感じである。
巨大な企業に勤める人達に話を聞いた私が間違っているのかもしれないが、彼らに崇高な思想は無いのかもしれない。
確かに、今回やってきた工場はとある電子部品を製造する会社であり、インフラ整備などを行っている会社ではない、よって、この国に住む人達の生活を向上させるんだ、などと言った分かりやすい思想を感じられるような仕事ではない。
結局、我々のようなあれば便利、というようなものを製造する仕事で勤め人として働く人達に国籍の違いなどないのだと改めて感じたカンボジア出張であった。
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