森拓郎先生のセミナーに行った影響で久しぶりにウェリナのプロテインを入手し、飲んでみたのであるが、昔ほどの衝撃がなかった。
初めて飲んだときはなんと美味しいプロテインなのだろうかと驚いたものだが、久しぶりに飲んでみたところ最初の感動はなかった。
いったいどういうことなのか。
飲み慣れる事に勝るものはない
プロテインを飲み始めた頃は様々なプロテインを試した、その中の一つがウェリナのプロテインである、値段が高めな為継続購入は断念し、他のプロテインを毎日毎日飲み続ける事をしている。
その結果、毎日飲んでいるプロテインが美味しいというか、あまりにも飲み慣れているので、なんの違和感もなく飲める、という状態に陥っているのである。
このような体験をしたことがないだろうか、外食はあまりおいしくなく、結局は自宅のご飯が一番おいしい、というような体験。
これは自宅の食事という毎日食べ慣れた食事が最も自分に合うようになってしまったということなのではなかろうか。
いわゆるおふくろの味、というものである。
普段から飲み慣れる・食べ慣れるというものが最も美味しく感じるのである。
同じプロテインを毎日飲み続ける事で、初めて飲んだ時衝撃のおいしさだったプロテインの味すらも凌駕する味へと飲み慣れる事で味覚が変化するのである。
まさかの出来事であるが、久々にウェリナのプロテインを飲むことで身をもって体験することができた。
このことは食べ物でもありえる。
外食でも通い続けるとまったく飽きなくなる
自宅の食事が一番おいしい説は間違いないのであるが、外食でこのような事は起きるのか?
外食でもこのような事態は起きるという事に気づいた。
私は学生時代から(20年前)から通い続けている中華料理屋がある。
今でも週に3回ほどは通っている。
頼むメニューといえば3種類くらいをぐるぐる回っているような状態である。
これこそ食べ慣れる事の効能ではなかろうか、まったく飽きないのである、全ての食事はこの中華料理屋との比較(コスパ勝負)になってしまうのである。
毎週この唐揚げ定食650円を食べているのである、まったく飽きない、20年前から食べ続けているがまったく飽きていないのである。
これこそおふくろの味であろうか、ただ、作っているのはオッサンであるが・・・
なんでもよいわけでもない
独り暮らしをするにあたって、自分で料理をしなくなった結果、常に外食をすることとなった、各社牛丼屋を順番に回るという事も行っていたが、今はほとんど行かなくなった、なんでもよいわけではないようだ。
なんでも食べ慣れればよいわけではない、もちろん美味しい事は前提ではあるが、それだけではない付加価値がついているのであろう。
今飲み続けているプロテインであれば、ウェリナのプロテインの半額以下であるということ。
食べ続けている中華料理屋には漫画が沢山あって漫画を読みながら飯が食えること。
このように美味しいだけではない、他の理由が組み合わされる事で飲み続ける・食べ続けることに飽きないという状態になるのである。
美食を追い求めるには様々な物を食べる必要があるでしょう、食べ物はタダではない、沢山稼いでいる人であればまったく問題ないが、庶民には限度がある。
私のように特に食に興味がない人はコスパの良い食べ物になにかしらの付加価値を付ける事で飽きる事なく美味しく食べ続ける事ができますので、ぜひそんな食物を探してみてください、参考になれば幸いです。
コメント