久々に元妻と会って飯を食ったら、
「今幸せ?」
みたいなことを聞かれたので、ふと私の幸せってなんなんだろうかと考えてみてしまいました。。
ちなみに、その返答は逆に質問返しをしてはぐらかしておきました。。
幸せかどうかを考えることが一番不幸せである
昔読んだ本で、タイトル忘れたな、、、
”幸せかどうかを考えるのが一番不幸せである”
というような内容を読んだ事があり、まったくその通りだと思ったものです。
幸せかどうかを考えてみた事ありますでしょうか、、、そのような事を考えるときはだいたいネガティブな気分になっているときですよね。ということは、ネガティブに寄っていくわけですので、不幸せな方向へ方向へ考えが偏っていくものです。
これを解消する方法は、忙しくすればよい、という単純な方法です。そうなんです、忙しければ自分が幸せかどうかなどという考えをしている暇がないのですね。
ということなので、自分が幸せかどうかを考える暇があるのなら、部屋の掃除でもした方が幸せだ、ということでございます。
知らないことが一番幸せ
これも昔CMかなにかで聞いたような気がしますが、知らないってことは幸せだったりするものです。人と比較して自分に劣等感を感じてしまったりするわけですので、比較する対象をしらなければ、自分は幸せなわけです。
ただ、知ってしまった場合にどうすればよいのか、知りたいということは興味を現れですから、実現したいと思うのが人の常だとは思います。その興味を満たすために人は生きていくのかもしれませんね、そのあたりは私もよくわかりませんが。。
ミニマリストという生き方に興味を持ってしまったら、もう物をたくさん持つという幸せは選択肢になくなってしまったわけです、少しでも理想に近づいていくのが幸せってことかもしれません。
結局は幸せの基準は人それぞれ
とある人は自分の幸せは
・たまに旅行に行って、好きなアニメを見て、ペットとゆっくりするのが幸せ
と言ってみたり
・たまに仲間内で酒を飲んで、てきとーに盛り上がるのが幸せ
という風に言ってみたり、
この様に、人ひとりひとり幸せの形は異なるわけです、正直、上記のような幸せの形であれば、実現するのは、現代の日本であればものすごく簡単なことだと思います。
今やネットで様々な幸せの形が見えてしまいます、昔はテレビや雑誌で見る幸せだけでしたが、、様々な幸せに影響を受けるのか、それとも、自分の中の基準を大切にするのか、自分の中に確固たる基準があるのが一番だと思います、、、私も今は元妻に聞かれてはっきりと答える事はできませんでしたが、とある幸せの方にに向かって努力できるのが一番よいと思って生きております。
自分の基準を持ちたい
というわけで、いくつか幸せについて考えてみましたが、
・自分が幸せかどうかを考えるのが一番不幸せ
この理論からいくと、この文章書いてる時点で私は不幸せなんですけど、、、(笑)
(もし、読んでいる人がいたらその人も不幸せなのか???そうだったらすみません。。)
個人的にはこの理論は結構お気に入りです、
・知らないことが一番幸せ
しかし、現代は知らずに生きることは困難ですので、
・自分の幸せの基準をしっかり持つ
というのが、一番大事ですね。
なんというか、だれかの役に立てる、ということは結構幸せなことなんだろうとは思います、まだ私はだれかの役に立てている自覚がないので、まあ、基本的には自己満足かもしれませんが、自分が書いた内容が誰かの役に立ってくれればいいのですが、、なかなか人のためになるのは難しいものです。
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