記事を書くことは思考の整理となる、人との会話にも応用でき一石二鳥だ

私はこのサイトで記事を書いているわけだが、まったく儲かっていない、かけた時間に対するコスパで考えたらとんでもないことになっている。

しかし、コスパを考えるのは最近はやめることにした、むしろ、最近はただの趣味である。

そう考えると非常に気楽だ、何も縛られる事はない。

ただ、最近思ったのは記事書きというのは自分の思考を整理することであり、人との会話のネタにもなるというメリットがある、ということだ。

人間の行動に無駄なことはないのかもしれない。

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街コンスタッフバイトでみる喋れない若者達

私は街コンのスタッフバイトをしている、たまに男性が足りない時に私も入っておしゃべりを楽しむのであるが、そこで感じる事は、

まったく喋れない男性のなんと多いことか・・・

女性との会話が全く続かず、黙り込んでしまう男性が非常に多いのだ、それを見かねて私が喋るのであるが、スタッフが調子に乗って喋る事ほど男性からしたら面白くない事はないだろう。

しかし、私が喋らなければ沈黙となり、なによりも女性がつまらなさそうになる、女性を悲しませる事程、男として情けないことはなかろう。

喋れない彼らの会話とは

おしゃべりができない彼らが発する第一声といえばこれだ、

「街コンはよく来るんですか?」

この質問自体が微妙なのは置いておこう、この質問に対する答えは決まっている

初めて/たまに/久しぶり/よく行く

などとこんな感じだろう、しかし、この答えを聞いた男性陣のその後の言葉といえば、

「・・・」

何も考えていないのである、質問しておいて答えをもらったあと放置なのである、何故こんな事がおきるのだろうか。

言葉を発せない人たちは自分の思考が整理できていないのかも

言葉とは喋ったあとは消えていく(録音しない限りは)、私は記憶力がよろしくないので、ほとんど話した事は覚えていない。

ではどうするかと言うと、その日話した内容などを日記に書いているのだ、文章として記載することで、話した内容が整理され、記憶されていく、そうすることによって話しを内容に対して自分がどのような対応をしたかなどもある程度思い出すことができ、さらに、文章に書き起こす事で思考も整理されていく。

この繰り返しによって、自分の脳みその中に会話のバリエーションという引き出しが整理されていくのだ。

これさえできればこっちのものである、前述の質問に対する回答それぞれに対しどう喋っていくか、ということは脳みその中の引き出しを開けていくだけなのである。

女性の回答が「初めて」であれば、「(嘘でもいい)僕も初めてなんです、最初申し込む時は緊張しましたよね、なんでこの街コンを選んだんですか~」、等など、自分の感情も差し込みながら会話を広げる事も可能だろう。

女性の回答が「たまに」であれば、「(これまた嘘でもいい)僕も久しぶりなんです、最近仕事が忙しくてなかなか参加できないんです、たまに参加するのは仕事が忙しいからですか~」等と相手に合わせつつ、自分は真面目に仕事をやっているというアピールを差し込む事もできる。

これらは、全ては学習である、自分の思考を文章に落とし、整理することでとっさの言葉として出現させることができるようになるわけだ、と私は思っている、知らんけど。。

文章を読み、そして書くべし

話し言葉がうつる、ということはよくあると思う、まったく関西弁出なかった人がちょっと関西に行っただけで関西弁になって帰ってくるあれだ。

文章でも同じ事は起きる、私は一時期司馬遼太郎先生の小説を読んでいた頃があるのだが、その影響で書く文章がそれっぽくなったことがある(いまもか??)。

ということは、文章(書籍)を読み、そして、文章を書くということは、会話が上手な人を真似するとこと同じで、しかも文章であれば記録にも残り、脳みその整理をして言葉として発する事も出来るという流れになるのかもしれないのだ。

文章を書くことは苦手という人もいるだろう、別にサイトに書く必要はない、自分しか読まない日記に書いてもいい。

書き続ける事で必ず上達する(はず)で、文章だけでなく、必ずしゃべりも上達するはずなのだ。

前田裕二先生もメモの魔力を提唱されている、文章を書く事はかならず自分を成長させる、まずは日記から始めてみてはいかがだろうか。

独り言
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