若者の欲望を聞き、自分にはすでに欲望が無い事に気付く

 9連休明けの勤め先は、とりあえずこの会話で幕を開ける。

「正月休みは何をしてた?」

 と、家族で旅行に行っただの、溜まっていた読書をしただのとよくある会話の中から、興味深い話を聞いた。

 とある若者は

若者:「いつも通りゲーセンでゲームしたり、家でスマホゲームしてました」

 という、私は疑問に思って聞いてみた

私:「そのゲームの先には何か得るものはあるのか?」

 すると彼は答える

若者:「ドーパミンという快楽を得る為ですよ」

 とのことだった。。

 

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彼にとっては快楽を得る事が最高の幸せである

 彼は快楽を得る為にゲームをしている、そして、他にも快楽を得る為に大阪や東京へライブを見に行く。

 もちろんタダとはいかない、ゲームにしろライブにしろお金がかかる、そして、そのお金を得る為に勤め先でやりたくもない仕事をやっている。

 それも全ては、ドーパミンという快楽を得る為、という事を完全に割り切っているのだ。

 彼は言う

若者:「人間なんて快楽を求める生き物でしょう」

 と、快楽を求める為に、禁止薬物に手を出したりする人がいる、お酒やギャンブルも同じで、快楽を得る為に中毒になる人がいる、と。

 それに比べれは自分は誰にも迷惑をかけていないから大したことないですよ、と彼は言う。

 そして、下ネタ系に関しても快楽を求める為でしょうという、ただ、自分は興味がないですけどね、と強がる。

 そこまで達観した状態で彼はゲームをしたりライブに行くためにつまらない仕事をすることを許容しているのである。

 

人の幸せの形とは様々である

 前述の彼にとっての幸せとは、ゲームをし、たまに好きなアーティストのライブに行くことである、仕事はその行為を行う為の稼ぐ方法でしかない。

 他にも幸せの形はいろいろである。

 ・友達と一緒に楽しく過ごすため

 ・海外旅行に行くため

 ・気の合う仲間と酒をのんでバカをしたいため

 ・子供や家族と過ごす為

 これらの幸せの形を聞いていて思う、私はいったい何を求めているのかと。

 友達もいなければ、海外旅行にも興味はない、友達がいないから気の合う仲間との酒もなければ、たまに帰った実家では家族と過ごす事は大して面白くもなかった。

 すでに、欲望というモノが失われてしまったのではないだろうか。

 若者は言う、人間というものは欲望の塊だと、私の欲望はなんなのだろうか、何のためにやりたくもない仕事をしているのか、まさに、自分を見失っているとしか思えない。

 

人生の意味などはない

 人生に意味なんてないとは思っているが、真面目になぜ自分が存在するのか?などという事を考えた事は高校生の時くらいだろうか。

 その時はどんな結論が出たかは忘れた、ただ、結果としては特に何も考えず大学受験をして大学へ行って、適当に就職して、結婚して転職して離婚して今に至る。

 私は今はゲームをしたいとは思わないし、特に旅行がしたいわけでもない、酒も飲みたくなければギャンブルがしたいわけでもない、だた、それでもなぜかブログは毎日書いている。

 毎日玄米は食べるし、プロテインも飲む、インスタント味噌汁も飲むし、歯も磨けば風呂も入る。

 なんだろう、何のためにやっているのかよく考えてみればみるほどよくわからない、でも、続けている。

 勤め先に毎日行って、ボケっと過ごせば給料が振り込まれ、この毎日のルーティンを行う為のお金は入ってくる。

 自分が幸せかどうかを考える事が一番不幸せだ、という事を何かの書籍で読んだことがある。

 これは間違いなく真実で、恐らく暇すぎて余計な事ばかり考えてしまうのである。

 それでも、考えずにはいられない。

 

好きな事をしなければ

 冒頭の若者のように、ドーパミンを得る為に生きなくてはならない。

 昔結婚していた時に思っていた事がある、子供はいなかったが、夫婦二人で将来的には雪の降らない暖かい地域で猫と一緒に過ごせたらいいね、と。

 今思えばその夢は簡単に叶えられた、雪の降らない地域に引っ越して転職すればいいだけである。

 ただ、その思いは露と消えた、私の努力が足りなかったのであろう。

 また同じような夢を抱く為には相方が必要だが、離婚を経験した今、結婚というモノにまったく意味を感じられない、再婚をする人達はなぜまた結婚するのか、また離婚に向かっていくというのに。

 というような考え方自体問題なのだろうが、まあ、もう少し自分の好きなように生きていいのだろうと思う今日この頃である。

独り言
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