すでに若者からは学ぶ事しかなく、やりたい事は少し我がままでなければならない

 勤め先にいる社会人一年目の若者がいる、彼が入社したころには私が教える事はまだあったような気がする。

 しかし、気が付いたら私は彼から学ぶ立場に変わっていた。

 すでに、若者たちからは学ぶ事しかないのです。

 

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彼はあっという間に私を追い越す

 私は入社したての若者たちに毎年言っている。

「この会社に居てもこのくらいの給料がもらえるだけで、しょうもないぞ」

と、このような事を言い続けて2年ほどだろうか、やっと今年この言葉に反応して副業を始めた若者がいた。

 その若者はものの数か月で結果を出してきたようだ、すでに私よりも稼ぐ方法を導きだしているのだ。

 私が偉そうな事を言っている割りに停滞している間、彼はあっという間に稼ぐ方法を見つけて私を追い越していったのである。

 

そして私は彼に学ぶ立場となる

 数か月前、偉そうに喋っていた私は今や彼に教わる立場となった。

 ただ、彼に比べて私に足りないモノは実は分かっている、それは

 

 である、彼にはどうしても叶えたい夢があり、その夢を叶えるための努力を厭わない。

 圧倒的な志によって、どうやったら稼げるか?を日々考え続けているのだ。

 この志や夢というモノを抱き方は教われるものではない。

 彼に手法を学ぶ前に私が手に入れなければならないモノ、それが志であり夢である。

 彼は小さい時から変わらず今も夢を持ち続けている。

 私にはそのような夢はない、小さい頃から誰かの引いたレールの上をテキトーに生きてきただけである。

 そんな私にできる事とはなんなのか。

 

人の事を考えるのを少しづつやめにしよう

 最近私が密かに始めた事がある。

 人の事を考えるのを辞めてみる、ということである。

 例えるなら、小さい事ではあるが

 ・枕を捨てた

 という事がある、私は枕を使わずに寝るようになった為、いつ捨てるかを悩んでいた。

 なぜ悩むかというと、たま~に来る女性が使うかもしれない、というあてのない用途の為にずっと取っておいたのである。

 しかし、よく考えてみた、なぜ枕を捨てられないのを人のせいにしているのかと。

 自分が不要だと思えば、誰に気を使う必要もないのだ、自分で決めればよいのである。

 と、自分に言い聞かせて枕を捨て、寝袋を買って、薄い掛布団と毛布を捨てた。

 少しづつ、自分のやりたいように生きていくのである。

 

人に気を使われるのが嫌いなくせに人を気にする

 私は人に気を使われるのが嫌いだと思い込んでいる。

 先日こんなことがあった、温泉に来ている時に食事中に店員さんが鍋をひっくり返してしまい、私の浴衣にスープが思いっきりかかってしまった。

 別にこれだけなら構わないのだが、一緒に来ていた連れの一人が、

 「代わりの浴衣をもらってきましょうか?」

 と気を使ってきたのである。

 私の心境としては、どうしても我慢できないのであれば自分で取りに行くからほっといてくれ、という気持ちである。

 その後、食事が終わり私は皆と別れて風呂に行き、部屋に戻った時に前述の気遣いの一人が

 「代わりの浴衣をもらっておきました」

 というのである、私はその時どう言ったかは忘れたが、確実に

 ”余計な事をするなよ” 

 という気持ちで一杯になってしまった。

 頼んでもない事をされたくないし、自分で出来る事は自分でする主義の私にたいして上記のような行いは余計なお世話でしかないのである。

 

 このように私は自分で出来る事を勝手にされるのが嫌いなタチである、にもかかわらず、誰かの為に枕を残したり、掛布団を残したり、というムダな気遣いを自らもしてしまっている事に気付いたのである。

 このような、人に気を使う、というムダな思いを持っている時点で、もしかしたら自分の本当に願う志や夢、というものは生まれてこないのかもしれない。

 

自分本位で生きてみる

 長い結婚生活では元妻が不愉快にならないように生きてきた。

 これも、相手ありきの生き方であったのは間違いない。

 今は独り身であるからもっと自分本位で生きても良いはずだ。

 しかし、たま~に会える女性がいた場合、今だにその女性に気を使ってしまうのだ。

 この性格を変えねばならない、人に依存していては本当の自分の望みは出てこない。

 もっと我がままに生きなければならない、冒頭の若者のように、周りに流されずに我が道を行くことでしか本当の望みは叶わないのだろうから。

勤め人
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