他人と一緒に住むというのは、自分のコダワリを捨てる事である

 私は5.5帖ワンルームの何もない部屋に住むミニマリストである。

 そんな私は綺麗好きという定義でよいのだろうかと考えさせられる事があった。

 私は潔癖症ではないのだ、ただの綺麗好きなのである。

 となれば綺麗好きと潔癖症は微妙に違うのではないだろうか。

 そんないろんな人達が持つコダワリについて考えてみる。

 

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潔癖症の人の行動とは

 潔癖症の人の行動をいろいろと聞く機会があった。

電車のつり革をつかむ事ができない

 誰がつかんだかわからないつり革は触れないそうだ、そのため、電車では足だけで立つという苦行をもろともしないようだ、つり革につかまるくらいなら倒れた方がましだそうだ・・・ほんまかいな。

 たまに、電車で支えにつかまらずに立っている人がいるが、、まさかの潔癖症の人なのだろうか?

エレベーターのスイッチが押せない

 誰が押したかわからないエレベーターのスイッチが押せないらしい、基本的には誰かに押してもらうそうだ。マジすか・・

一人暮らしなのに毎日2回洗濯する

 部活をしていた時に、部活で使った物と普段の生活のものを分けて毎日洗濯するらしい。(汗を大量にかくから)

 タオルに関しては、枕にかぶせる物、体を拭くもの、手を拭くもの、というように用途別で大量に同じタオルを持っていて毎日洗うらしい。

 とまあ、他にもいろいろと言っていたが忘れてしまった。

 しかし、このような潔癖になってしまったのにはある程度の理由らしきものがある、ハウスダストアレルギーを持っているようで、アレルギーの発症を恐れるあまりに過剰な行動をしてしまうような感じは受けた。

 

生きにくくないすか?

 上記のような状況では生きていくことが困難である。

 上記の人に限らず、自分のスタイル(潔癖症含め)を持っている人は、他人と一緒に住む事ができないという特性を持っているようだ。

 ある人は結婚するなら週末婚でよい、一緒に住む事はできない、だの。

 とある人は潔癖症である場合、大雑把な人と住む事はできないだろう。

 またある人は、同じ建物の中に(マンション含む)他人が一緒に住んでいるのが無理だという。

 上記のような意見を持つ人達であっても、なぜか家族との同居は大丈夫なのである、遺伝子の近い者であれば耐えられるのだろうか、よくわからない。

 しかし、結婚や同棲という事になると意見は変わる、他人と一緒に住む事ができないからなのか、元々結婚がしたくないのか、どちらが先なのかわからないが、結婚というものに興味が無さそうなのである。

 要するに自分のコダワリが強すぎて他人との共同生活ができないのである。

 

良い環境に住みすぎだろう

 上記のような他人と共同生活が出来ない人達は、長い間実家に住み、大学か何かで実家を出た際には一人暮らしという自分一人が自由にできる空間で自己のコダワリを大きく育てたのであろう。

 私はと言えば、実家は物に溢れていた、そんなところで喘息を発症しながら、喘息が出たところで別に普通の事なのでなんとも思わなかった。

 実家を出て大学に通った時は、学生寮に入った、そこはさらなるゴミ溜めであり、さらには2人部屋という境遇であった。

 大学を卒業し就職した先の研修時は2人部屋であった、配属になった後も社宅のアパートは同室の先輩がいるという状況である。

 そして、社宅のアパートを出た後は元妻との同棲からの結婚生活へと移行した。

 ず~っと誰かと一緒に住んできたのである。

 今でこそ小綺麗な部屋に住んではいるが、根底には約40年間の共同生活が染みついているのである。

 

潔癖ではないのだ

 こんな私はまったく潔癖ではない、たしかに洗面所を使った後の水はねは気になってしまうし、服はかならずハンガーにかけるか所定の場所へ置く、そして、持ち物も全て所定の場所に置く、という性質があるがこれはただの綺麗好きであって、他のところは全く無頓着である。

 どんなところが無頓着なのか?最近聞いた話から気づいた事は、

洗剤を水でしか流さない

 食器などを洗剤で洗った後、私は水で流すだけであった、しかし、この方法では洗剤は取れていないということだそうだ、潔癖の人達はキュキュっというまで手で水洗いして洗剤を除去するのだそうだ、どうも水を大量に流すと思ったらこういうことだったのだ。

タオルは毎日あらわない

 これに関しては、普通の事かもしれないが、タオルは1回しか使わないそうだ、私は実家の頃はバスタオルは下手したら1週間は使っていた・・今でこそ2日か3日しか使わないが、毎日かえる人からすると考えられないらしい。

シーツを洗うのは月一くらいか

 毎日シーツを洗うという人もいるらしい、それどこに干すんだよ、、って思ったが、本当に毎日そのような事をしている人もいるらしい、朝起きたらシーツを外して、寝る前にシーツをかけるのだろうだ、なんとめんどくさいのだろうか。。

 私の現状では3週間に一回くらいだろうか、これでも頻度はかなり上がった方である。

あまり手を洗わない

 私は手に違和感があるときしか手を洗わない、例えば、ヘアワックスを付けた時などである、トイレへ行ったとしても右手の親指と人差し指、ちょっと中指を使ったくらいであれば、この3本を水でちょろっと洗う程度である。

 

 まあ、汚いのは分かっているが、あまり綺麗にしすぎるのはよろしくないという思い込みがある為にこのような行動をとっている。

 部屋は綺麗でも自分自身の体には無頓着なのである、全ては他人との生活が長いという経験から、あまりコダワリ過ぎてもろくな事はない、という事が刷り込まれているからであろう。

 

人と一緒に住む事は何かを諦める事

 今でこそ独り暮らしである為、自分のコダワリ満載の部屋(とは言っても何もないというコダワリ)に住んでいるが、こんな事ができるのは独り暮らしだからである。

 誰かと一緒に住むという事は、自分のコダワリをある程度捨て去る、という事に他ならない。

 水回りがびしゃびしゃになっていても、言ったところでムダである。

 タオルを毎日変えろと言われたところで私は変えない。

 買うなと言っても必要のない物を買ってきて設置される。

 人と一緒に住むとはこういう事である、ただ、それでも一緒にいたい、という人が見つかればいいのだろう。

 自分のコダワリが相手に伝染するかもしれないし、自分のコダワリも相手によって緩和されるかもしれない、そもこれも全てはやってみるしかないだろう、それでも一緒にいたいという人がいればこんなに幸せな事はないでしょう?

ミニマリズム
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