人生は適当でもなんとかなるが、ものづくりは適当ではいけない

 勤め人として製造業に勤めて十数年、久しぶりに忙しい毎日を送る事となってしまっている。

 私が忙しい時というのはトラブルが起きている時である、毎日トラブル対応に追われているわけであるが、どうもものづくりという物事は適当ではいけないようだ。

 私は離婚して独り暮らしをしているわけだが、今月はついに12万円で生活する事に成功した、人生とは意外と適当でもなんとかなるものだが、ものづくりはそうはいかない。

 適当に作業し、適当に判断すると後でめんどくさい事になってしまうのである。

 ものづくりとは、なんだかんだでコダワリが必要なのである。

 

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トラブルは連鎖する

 今年発売した新商品にてトラブルが多発したわけであるが、トラブルというのは連鎖するのであります。

 まず初めに問題が起きて、お客様の倉庫に再度製品を確認する作業を行う、そしてその不具合に対する対策を報告する。

 これだけで終わればさほど問題はないのであるが、その後にお客様の検品にて他の不具合が発生し、再度製品を再確認する作業を実施する事となった。

 不具合が繰り返して起きると、再発防止策を報告するだけでは終わらない、たいていは社内でのダブルチェック体制を構築する事になるのであるが。

 このダブルチェックというのが曲者で、いつもと違う生産工程を追加するという事であるが為に、案の定問題が起きた。

 ダブルチェック工程での不具合がお客様の検品にて再度発覚。

 こうして3度の不具合を発生させて、問題が大きくなっていくのである、3度目の不具合は、2度目の不具合までの対応として実施した普段行わないダブルチェックという作業によって発生したわけで、このようにしてトラブルというのは連鎖していくのである。

 

普段報告しない事まで報告する事になる

 上記のように何度も不具合を起こすと、誤魔化しが効かなくなる、何が起きるかというと、隠す事による矛盾点の解消が不可能になってくるのである。

 こうなると普段はお客様へ報告しないような、社内で発覚した不具合においても報告せざるを得ないという事態にはまり込む。

 この状態にまで陥ると、社内的にはどのような状態になっているかというと、度重なる不具合に対応する為、社内で様々な再検査が行われる事となる、再検査はタダではない、人員という資源を大量に投入する事となる。

 普段行わない仕事に人員を投入するということは、他の仕事がおろそかになるという事であり、おろそかになった仕事からまた不具合が発生するという、さらに新たなトラブルの連鎖が始まるのである。

 

作り手の思いが連鎖する??

 このトラブル連鎖の起点はもちろん、最初のトラブルの兆候を放置したことによるわけだが、その最初の兆候時に問題意識が持てるならばこのような連鎖は起きない。

 問題の本質に一体なにがあるのかという事を考えるに、、これは私だけの思いかもしれないが、新製品や物というものに興味を無くした人間がものづくりに携わっているというのがそもそもの問題ではないだろうかと感じる。

 職人の仕事とは、自分の作る物にプライドを持って一部のスキもない物を作っていく、それは自分の作品へのプライドや、自分の欲しい物を作るという思いによって支えられているのではないだろうか。

 私は勤め先の企業で作っている商品にまったく興味がない、というよりもはっきり言ってこの世に必要のない物ではないかとさえ思っている、なぜなら、私の普段の生活でまったく必要のない物であり、欲しいとも思わないからである。

 トラブルが連鎖するのであれば、作り手の思いも周り回って連鎖するのではないか、プライドを持って素晴らしい商品を作ろうとする人の作成する製品は最高の製品となる。

 プライドも何もない人が作った商品は作り手の思いが連鎖し、多少の不具合を受け継いだ製品が作られたりするのだろうか。

 トラブルの連鎖を目の当たりにすると、このような弱気な思いを抱かざるをえない。

 

量産製品の場合はライン構成が全て

 作り手の思いが伝わるのが顕著であるのは、少量生産の製品であるはずで、大量生産される製品の場合は、雑多な人達が生産に携わるわけであるから、全員がプライドを持って生産するのは難しい。

 この場合は、量産ラインを設計する人や、製品設計をする人達にプライドやコダワリが必要になるということである。

 どちらにしろ、ライン設計や製品設計もものづくりの一部であるから、作り手の思いが連鎖するのは間違いない。

 やはり、ものづくりに携わる人間は適当ではいけないのである。

 

コダワリにはお金がかかる

 良い製品を作るにはプライドとコダワリが必要である、ただ、コダワリはタダではない。

 時間をかけて、品質を追い求め尽した商品になにが起きるかというと、コストがかかって値段が高くなり、値段が合わなくなって売れなくなるという事態が起きる。

 品質とコストのバランス、コダワリと妥協のバランスを取る事が必要なのであるが、今回の新商品のようなトラブルはどのように考えればよいのだろうか。

 社内のある人は言っていた、最近は楽をする事ばかりを考えている、と。

 世の中が便利になって楽に生きる事ができるようになった、そんな世の中でものづくりだけが楽が許されないというのか。

 なんとも世の中には矛盾をはらんでしまったものだ。

 人生は楽に適当でよいが、ものづくりは依然として適当ではいけないのである。

勤め人
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