LOVE理論&スパルタ婚活塾を読み直して思う、自分の無意味さ

 街コンに来た女子にオススメしようと思って水野敬也大先生の著書、LOVE理論とスパルタ婚活塾を読み直してみました。

 相変わらず面白い&いい事書いてあるなぁと感心しっぱなしだったのですが、水野敬也大先生自身の経験を読むにつれて、自分はなんと何もしていないのだろうと、なんと楽をして生きてきたのだろうかと思い知る事となります。

 

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中高とさえない男子が大学デビューを果たす

 水野敬也先生は中学高校と女子とまともに話せることもなく、決死の思いで大学デビューをはたされたと著書には書かれています。

 その決意と努力たるや、並々ならむものが書籍から伝わってきます。

 女子と出会うために様々な場所へ出かけたり、モテる人達がたくさんいそうだという場所でバイトをしたり、皆を楽しませる為に体を張った芸を身に付けたり・・・全てはモテる為への行動が次々へと紹介される。

 圧倒的な研究と努力により、圧倒的な知識を得た事が理解できる。

 モテの為の方法はもちろん参考にはなるが、書籍を読んでいて思うのは、いったい自分はこれまで何をしてきたのか?という思いであります。

 

後輩にとやかく言う前に自分が何もできていない

 彼女が欲しいと嘆いてる後輩に偉そうにいろいろ言っていた自分。

 LOVE理論を読んで、偉そうに説教していた自分が恥ずかしくなる、説教できるほど自分は何かしてきたのかと。

 というよりも、結局は生まれ持った物だけで、自分の努力というもので得たものは何もないのではないかという思いがある。

 私に説教される後輩が陰で言っている事であろう、けっきょく生まれ持ったルックスはどうにもならない、と。

 生まれ持った物だけでなく、後天的に身に付けた物、身に付ける為に努力する事に意味があるといい続けていたが、それは結局は少し違うのである。

 

持たざる物が得る事が物語となる

 中学高校と女子と喋った事もない、モテたこともない、ルックスが良いわけでもない、そんな人間が研究と努力によりモテる男となる。

 持たざる物が努力により望む物を手に入れる、そこに物語が生まれ、自分にもできるのではないかという共感が生まれる。

 私が説教をした後輩は持たざる物である、彼に提示すべきは私の言葉ではなく、持たざる物から持つ物へ変化した人の言葉なのである。

 区分の問題である、人の悩みというのは多彩であり、美人には美人の、イケメンにはイケメンの悩みがある、しかし、持たざる後輩の悩みを解消できるのは、ちょっとだけ持つ物である中途半端な私のアドバイスではないのである。

 

人は変われるといいながら何も変わっていない自分

 いつだって人は変わる事ができる、今この瞬間から変わる事ができる、とよく私はほざいてしまっている。

 そんな自分はどうか?何も変わっていないのである。

 離婚する時に元妻から言われた言葉は一生忘れられないだろう。

 「あんたは昔から何も変わっていない」

 15年間結婚していた、出会ってからは20年である、この言葉が何を意味するかと言うと、私は20年間何も変わっていないのである。

 人に説教する前に考えなければならない、人の事をいう資格が私にあるのか?

 本当に変われた人だけが、行動を起こした人だけが、他者へ伝える事ができる、他者へ伝える資格がある、他者へ本当に伝わる言葉を発する事ができる。

 なにも成していない自分には他者を偉そうに説教する資格などないのである。

 

 とまあ、このように気分が落ちてしまう事もあるが、落ちていてもしょうがないので、相も変わらず前向きに生きていくことには変わらない。

 なにしろ20年間なにも変わっていないわけですからね。

 中途半端な人間が中途半端に生きる、こんな生き方が参考になる人がいればいいが、、これも区分けの問題だといいのですがね。。

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