今日は七夕らしい、独り暮らしをするとイベントが関係なくなる

独り言

 今日はどうも七夕というイベントがあるらしい、竹に願い事を書いた短冊を飾るというイベントがあったような気がする。

 イベント毎を行うのは、保育園や学校などの公共施設だろうか、社会人となって公共の施設にあまり出入りしなくなるとまったくイベント毎に縁が無くなるのである。

 イベント毎に縁がなくなる要因とは。

 

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子供がいないのが最大の要因

 七夕のような日本の伝統文化(?)は大事にするべきなのは理解できる、しかし、独り暮らしである以上はまったく関わりが無いのも事実である。

 恐らくは子供がいれば保育園や学校のイベントで「短冊作らなきゃいけないんだ~」とか、「願い事はなあに~」っつってきゃっきゃするのであろう。

 イベント離れの最大の要因は子供がいない事に尽きると思う。

 それにしても、短冊に願い事を書くとは、ある意味、理にかなっているではないか、自分の願いを書くことによって、言語化・視覚化して理想に向かっていけるという工程を自然に踏んでいるわけである、伝統文化とは捨てたものではないのである。

 ただ、そこに書く願いが単純な自分の欲による物でなければよいが・・

 とりあえずは、伝統を継承するには子供を作る必要があるということである。

 

テレビを持っていない事も要因の一つ

 私は今テレビを持っておらず、まったくテレビを見ない生活を送っている。テレビで七夕のお話をやっているかどうかは知らないが、イベント毎になにかしらの話題は提供しているであろう(話題がないだろうから)

 そういった意味では、テレビというのも役に立っているのである、日本の伝統の継承に一役買っているのである、テレビという垂れ流しの洗脳マシンを用いて伝統文化を守っているのである。

 そんなテレビを持っていない私がどうやって七夕を思い出したかというと、Google先生の検索窓である。さすがGoogle先生、伝統文化継承も担っているのである。

 それにしても七夕はイマイチ儲かりはしないからだろうか、あまりいろいろなところでは見る事のないイベントである、結局はイベント毎が盛り上がるかどうかというのはお金儲けができるかどうかなのである。

 

GWもお盆も正月も暇つぶしに苦慮するだけである

 独り暮らしになって思うのは、大型連休というイベント毎であってもまったく関係が無いということである、いや、関係はあるが休みがあったところでやる事はないからただただ暇な時間が膨大にあるということである。

 2019年の正月は一人で過ごすプレイをして、一人で休みをボーっと過ごすプレイは実施済みである、これはなかなかの苦痛である、電気代ももったいない。

 2019年のGWはバイトをするというプレイをした、これはなかなか良いのであるが、消耗度は半端ではない、お金は儲かるのであるが、バイトをするのであれば屋内がよい、日焼けをしてしまっては老ける一方である。

 ついにお盆が近づいてきている、やりようによっては9連休となる、どうしたものか・・・今回は実家にでも泊まってみようか、などと思うアラフォーの朝である。

 

子孫繁栄を放棄した代償か

 伝統を全て忘れていく、全ては子孫繁栄という遺伝子の命令を無視した結果である、100年もすれば我々のような子孫を残さない人間の遺伝子は淘汰され、子孫をたくさん残そうという遺伝子のみが台頭してくるであろう。

 そうなった場合にはまた日本という国も人口が増える傾向になっていくであろう、ということは、子孫を残さないという選択をする我々も間接的に子孫繁栄に寄与しているのかもしれない。

 などというどうでも良い話をGoogle先生の検索窓の七夕を見て思うのである、些細な事から壮大な話まで想像力は偉大である。

独り言
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アラフォーミニマリストの独り言

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