普段自分が使わない製品が毎月どこかで数千個以上売れている

勤め人

 勤め先で生産している製品で仕様違いが発生、選別の為に1000個程度を顕微鏡で見てより分けるという作業を数時間かけて実施した。

 それにしても、普段の生活で自分はまったく見る事のない製品、いったいどこで消費されているのだろうか。

 

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世界中のどこかで売れている、らしい

 1000個もの製品をより分けたのであるが、この製品を私はもちろん持っていない、というか、普段の生活では生まれてこの方一度も同等の機能を持つ製品を使ったこともなければ触った事もない。

 そんな製品が毎月何千個、何万個と生産されてどこかへ出荷されていくのであります。

 私から見ればただのゴミだが、我々の給料の元となる商品なのである、なんとも不思議な気分になる。

 

そして毎年むりやり新商品が作られる

 我々の給料の元となる普段我々が使わないがどこかで売れている商品は、毎年手を変え品を変え新製品が提案される。

 見た目を少し変えたもの、仕様を少し変えたもの、○○の後継、むりやりでも毎年新しい、という言葉の元に新商品が作られる。

 世界中のどこかにいる誰かの購買意欲を掻き立てる為に新商品をむりやり考えるのである、なぜなら世界中のどこかにいる誰かの購買意欲を掻き立てて、むりやりにでも売らなければ我々の給料が出続けないからである。

 

誰かの役に立っているのか

 誰かの役に立つから、誰かが買うのか。

 誰かの購買意欲をむりやり掻き立てた結果、売れたのか。

 どちらなのであろうか、素直に世界中の見えない誰かの欲しい商品を提供できているのであるから、誰かの役に立てている、というように考えればよいのか。

 仕様違いで捨てられる1000個もの製品、そのゴミと化した製品を見ながら、本当に誰かの役に立てているのかどうかとふと考える事がある。

 

消耗品ということだが

 我々が毎月大量に生産する商品は一応消耗品であるという、本当だろうか。

 消耗品と称して、買換えを促していないか、摩耗すると称して消費をうながしていないか。

 スマートフォンのように年々性能が上がって、毎年使い勝手が向上していく商品であれば買換えを促すのは理解ができる、実際に自分が使うとしても便利な方がよいからだ。

 ただ我々の作る製品は、新製品と言っても性能はかわらない。となれば、基本的には消耗品として買換えを促しているというのが本筋だろう。

 ただ、本当に消耗品なのかどうかは怪しいところである。。

 

欲しいという気持ちは本当に自分から発生した思いなのか

 企業とは利益を追求するものである、利益の追求とは売上の追求であり、売り上げを上げる為には誰かに物を売らなければならない。

 誰かに物を売るとは、誰かが物を買いたいと思わせる事である。

 我々の作る製品でいえば、性能はかわらずとも、ラインナップを整理して組み合わせがわかりやすくなって、外観がこう変わって・・・などと言ってコレクター魂を揺さぶったり、新しい物好きの心を揺さぶって購買意欲を刺激するのである。

  

 ・・・これは、企業に消費者が洗脳されているのと同義である。

 自分から欲しいと思うのではなく、企業がこれこれこういう商品があって、こんな使い方すると便利ですよ~と必要のない物をさも必要かのように宣伝して、誰かを洗脳し、物を買いたいという気持ちにさせているのである。

 

本当に自分にとって必要なのかを考える時がきている

 そろそろ本当に自分にとって必要なのかを考える時期がきてもいい。

 吟味に吟味を重ねて、それでもほしいと思える物を手に入れよう。

 これこそがミニマリスト的な生き方である、ということかもしれない。

 たしかに何も考えずに企業の言いなりで物を消費する人達がいなくなれば、我々のような会社は続かなくなるであろう。

 しかし、それこそ本当に世の中が必要としない会社なのだ、ということである。

 本当は必要のない物を提供していただけだからである。

 

 今日も捨てられる1000個の製品に関連して、様々な処置・対応を行う事となる、ゴミの処置をするのである。元々誰も欲しがらなければゴミになる事もなかったものである、元々は貴重な地球の資源である。食べられる製品ではない、本当のゴミである。

 そんなゴミに関連した処置をするために今日も勤め先へ赴く、思うのは、せめて自分だけは本当に欲しい物・必要な物を手にする生活をしたいと思うのであります、参考になれば幸いです。

勤め人
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